普遍プレッシャーで詩が書けない
詩が書けないいぃぃぃぃーーーーッ
書けないのは、前の記事「ほんとうのこと」で書いた身元が割れるという理由と、
普遍プレッシャーです。
谷川俊太郎の ↓ のことばは、私の中で、仏教者・小池龍之介の口調を借りると
「詩は人類の宇宙的普遍を書くべきであーッる!! by詩の大家」
という反論を許さぬプレッシャーとしてのしかかることになりました。
万人の無意識に共通する感覚を書かなければ。
たしかにそうだなあと思う。一理あります。 詩を学ぶようになって、自分でもそう思うようなりました。
吉本隆明だって、「おう きみの喪失の感覚は/全世界的なものだ」と言っているではないか(「分裂病者」より)。
――しかし、無言になってしまうのです。ものを言えなくなってしまう。自由に表現できなくなる。普遍を書かなければならないというプレッシャーが、詩を書くときの足枷となる。
私にも当然、普遍感覚はあります。たとえば花を見ると綺麗だなあと目を奪われる。詩が書けなくてもどかしく思う。
けれども、私のセンスは普遍の逆、マイノリティ・センス。人と違うふうに感じる少数派感性。詩に適したことばになり難いと悩みました。それから、詩を書くことに抵抗を感じるようになりました。
その時の心境を小説化したものが
です。
本格的に勉強したわけではないから、もちろん実力がない、ヘタクソということもあります。それは自覚しています。どう書いたらよいか本当にわからないですね……。学ぶ場がほしいです。
そういうわけで、散文に軸足を移していこうと思います。もともと私の詩は自閉スペクトラム症という基盤あってできているものなので、そちらをテーマにしたブログで散文を中心に発表していく予定です。このサイトの詩も少しずつ新ブログに移行するかもしれません。(モチベーションがすぐ低下するので、新ブログも放置する可能性大です……)
roots-amanekouko.hatenablog.jp
ブログ名を同じにしたら、どっちがどっちだか見分けがつかなくなった。。。
また変えるかも。
読者が……(泣)
詩のことばが生まれる瞬間は3ヵ月に1回、普遍プレッシャーに悩むようになってからは半年~1年に1回の低出生率になってます。推敲は10回以上ゴリゴリやりますから、1作できるまでに何カ月もかかって、ブログで頻繁にアップするなんて無理。
ようやく出来上がったことばも、ヘタクソな上にマイノリティ・センス(暗いとか、希望がないとか、よくわからないとか、いろいろあるのでしょうが)……読者がいなくて、モチベーションはたちまち低下。詩ができるときは、誰かに向けてとかじゃなくて、ひとりでに生まれるのですが、結果的に全然読者がいなければ、寂しい。
いつも詩をいいと言ってくださるクマさん。これまで何度もはてなスターをいただいたブロガーの方。あとは詩集を買っていただき、声を掛けてくださった方。……ぐらいですよ? こんなヘタクソな見るに堪えない詩にいいねしてくださるのは……。
ありがとうございます(はぁと)
今後このブログは……
- 詩集『声・まっくら森』から細々と過去作品を引っ張りだしてくるか、
- 新作を数ヵ月~1年に1作ぐらい(ブログとして完全に死んでます……)の超スローペースで出すか、
- 散文で詩について考える記事を書くか、
- 新ブログに移行するか、……
ということを考えています。
追記:スターありがとうございます!