地底の声

世の中からズレてる人の書いたもの(詩・エッセイ・日記など)

エッセイ:書く葛藤2 アポロンとディオニソス

 書けない。しかし、せめて、書けないことを、書いてみたい。


 私には、自閉症の特性に由来する、特殊な感覚がある。これを書きたいと思いついたのは、25年前になる。
 はじめに「書け」と言ったのは、哲学を好む、ある文学の先生だった。当時私は、キルケゴールの本を翻訳したものを読んでいた。だから私の言葉も、思想も、いわゆる翻訳調であった。カクカク、ゴテゴテとしていた。岩盤のように。「それだけ考えていることがあるなら、書くべきだね」と先生は言った。


 それから20年、「書きたい」「でも書けない」と苦しい葛藤をした。葛藤しすぎて病気(身体表現性障害。心の葛藤が身体機能を損なわせる病気)にまでなった。
 ある人は、自己〈分析〉したことを〈表現〉せよ、と言った。私は自分を〈分析〉することも〈表現〉することも得意としていたが、その人は、どちらかというと〈分析〉が私の本分であるとみたようだった。


 決めた順序通りに書こうとするこだわり。強迫的な細部追及。この二つの特性が壁になり、私の葛藤は続いた。吐き出すように、詩を書いてみた。
 しかし、私の特殊な感覚〈マイノリティ・センス〉を、詩に昇華するのは難しかった。詩は普遍を書くものと谷川俊太郎はいう。私の感覚は、詩になりづらいのではないかと悩んだ。書けなくなった。己の詩を憎み、恥じるようになった。誉めてくれる人がいても、出来損ないの子を見るように、疎んじた。


 詩は駄目だ。散文を書こう。思ったことをありのまま素直に。以前から手をつけていた自分史を書き進めていった。


 ここでも壁は立ちはだかった。私の特殊で繊細な感覚を表現するには、日本語では不可能のように思われた。あたかも 〝画材〟 が足りないように、表現手段の不足を感じた。私は 〝画材〟 を調達しなければならなかった。自分のことばを創った、それも乱造した(昔の私の日記は造語だらけで、自分でも解読不能だ)。日本語の規則や用法を無視し、マイルールにねじ曲げた。それは私にとって、自己表現を邪魔する煩わしい軛だった。学校の制服や校則のように。


 正しい日本語にこだわる、ある文学愛好家は、私の言葉は意訳しなければ一般の人に伝わらないと言った。「あなたは散文が向いてないね。詩はいいのに」。コミュニケーションの唯一の突破口であるはずだった散文は、こうして行き詰まった。


 ブログもなかなか書けなかった。読者を想定しなければならないと言われるが、コミュニケーション前提で書いたとたん、〈表現〉の切っ先が鈍るのである。諧謔(ユーモア)調のエッセイや小説は、人を笑わせようという動機があり、読者を想定して書けるが、それ以外は書きづらかった。私の文章は、まず〈表現〉への無目的な爆発があって、コミュニケーションは二の次だった。


 詩を書くために、ある詩人に教えを請うた。彼は言った。
「あなたは自分を爆発させようとした瞬間、一歩引いてしまう。用心深い。それではもったいない」
「そうなんです。醒めてしまうんです…」
「批評を書いてみて」
 かくて、私の〈表現〉は、パトス(一時的・主観的・激情的な感情)とロゴス(言葉を通して表される理性)の狭間を彷徨うのだった。

 

パトスとロゴス

 

 ニーチェは『悲劇の誕生』の中で、芸術創造のタイプとして、ディオニソスギリシャ神話でぶどう酒の神)型とアポロンギリシャ神話で音楽・弓・医術・牧畜などの神)型を挙げたという。ディオニソス型を生のエネルギーの発現としての狂気と忘我の超日常的世界とし、アポロン型を明知と光明の観照的世界とした森鴎外ヰタ・セクスアリス』、明治二十四年、新潮文庫、注解)


 自己表現を得意とする私は、ディオニソスに魅入られ、パトスの杯を享(う)けた。しかし、アポロンの瞳に恋し、ロゴスの天秤を掲げた。アポロンの瞳は、溶岩のごとき無形の情念に、言葉を与える代わりに、その熱を冷却するのだった。

 

アポロンとディオニソス


 アポロンの瞳が、私の中の〈表現〉を殺そうとしているのか。ディオニソスの杯が、私の中の〈分析〉を殺そうとしているのか。これが私の、書けない葛藤なのだ。


 醒めたまま狂えるか。狂ったまま醒められるか。私はアポロンの瞳で、ディオニソスの杯を満たしたい。

(2021.7.24)