執筆中の自著の講評に”言葉を失う”ほど震撼した 詩:ただ一人の観客へ
東京オリンピックが閉幕し、新型コロナウイルス第5波が落ち着き始めた2021年初秋。一通のレターパックがポストに入っていた。文芸社から届いた、聴覚過敏手記『マイノリティ・センス』の講評だった。
この春、文芸社主催の自分史大賞「人生十人十色大賞」に応募し、先月、落選した。理由と講評が知りたいと電話したところ、担当者が送ってくれたのだ。
講評には、作品を評価する言葉が連ねられていた。
その時受けた私の衝撃を、どう表現すればよいだろう? いつも無視ばかりされる私にふさわしくない、過分なる現実。これは夢か? 心のあまりに深い部分が震撼した。言葉にならない歓喜が爆発した。講評に「読み進めながら言葉を失う」とあったが、私も同じように、“言葉を失った”。泣いてしかるべきほどのパッションだ。
ところが、ちょうどその時、聴覚過敏の痛みに意識を奪われていた。内なる闘いに燃え尽きて、心の底に降りていくエネルギーがなく、感情が麻痺しているようだった。
しかしその瞬間、私の人生の何かが“変わった”。聴覚過敏の長い闘いの、重大なるターニングポイントを迎えた。心の支えができた。それほどの衝撃を、とても言語化することはできなかった。
森口奈緒美著『自閉女の冒険』を読んだ時も、同じような感情の麻痺が起こった。あまりに「凄い」ものを前にすると、言葉を失ってしまう。1回読んで、「凄い」という感想しか出て来なかった。何が「凄い」のか言語化できないほどに「凄かった」。
感想の言葉を列挙する前に、私の人生はすでに変わっていた。森口さんの生きた軌跡が、私の日常のいろんな場面にオーバーラップし、浸透してしまったのだった。
2回目を読んでみたが、感想が湧きすぎて、なかなか読み進められなかった。その一つひとつを、言語化するのは難しかった。どの思いをピックアップして感想文を書けばよいのか、わからないほどだった。
その森口さんも書いていたっけ。
それは、本当に、本当に、本当に、夢みたいなお話だった。我が人生で最高の日。宝くじに当たるよりも凄い出来事だ。(『自閉女の冒険』、遠見書房、2020年、166頁)
講評を受け取った日も、私にとって「我が人生で最高」に近い日に間違いなかった。
さて、講評を読み返す「感動に堪える力を蓄える」ために、私は身辺の雑事を片付けた。心の重大なる局面に降りていく、階段を整えるように。その階段で、2日もうろうろ足踏みしていたのである。
そうして私は、もう一度、文芸社からのレターをまじまじと読んだ。
*
【ただ一人の観客へ】
嬉しや嬉し作品に
読者がついてございます
孤独の作業日の目見る
日が訪うと思わずに
今日までひとり黙々と
言霊綴っておりました
嬉しや嬉し作品に
読者がついてございます
誰もが求む拍手の音
人のこころに見出して
観客いない寂しさを
文字刻む手に知ったもの
嬉しや嬉し作品に
読者がついてございます
ようこそ遠路はるばると
いらっしゃいましあなたさま
観客席のただ一人
感謝感激送ります
(2017.1.21 『声・まっくら森』に収録)
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【ひとこと】
昔書いた詩。
「読者がついてございます」のところが、囃し立てるみたいで、
我ながらもう少しよい表現はないかと思うが、
韻を踏むために苦労したところなので、今のところ、
よい表現が、ほかに見つからない。