地底の声

世の中からズレてる人の書いたもの(詩・エッセイ・日記など)

エッセイ:社会的に作り上げられた「家庭とはこうあるべき」は解体したほうがよいのでは?

 何十年も前から言われてきたことだが、発達障害の子どもを持つ親、とくに母親の苦しみは、想像を絶する凄惨さである。森口奈緒美さんの『自閉女の冒険』を読めば、明らかである。私の母は、知的な困難があるので、そのような葛藤はたまたま免れたものの、父は苦労した。

 

 ひきこもる子どもを持つ親の話を聞くと、誰もが深く傷ついている。子どもの傷はもっと深い。私の見聞によると、死を考えていない人はほとんどいなかった。

 

 個人の特性、学校、会社、病院に至るまで、社会の広範な範囲にわたって、問題は複雑に絡み合っている。こうした社会の矛盾を、家庭は一心に引き受けて、消尽していく。

 

 家庭はあたかも傷口を封印された密室である。社会の矛盾の掃きだめ場である。どう考えても、すべての社会問題を家庭に押し込めようという発想に無理がある。

 

 明治期以降、国の下部組織としての家庭の理想像が政府によってつくりあげられてきたという。あたりまえに浸透している「家庭とはこうあるべき・こうあるもの」を解体し、成員を個人として捉えたほうがいいのではないかと私は思う。

 

 しかしながら、日本人の個人は世間が神のようなものだという(※)。世間を神にし得ない者はどう生きるべきか? 家族の外に、個人を支える共同体か、あるいは宗教が必要になってくると思う。

 

(2022.3.28)