地底の声

世の中からズレてる人の書いたもの(詩・エッセイ・日記など)

〈自己愛〉と〈他者愛〉のはざまで(2) 詩:ゾンビ

 私は国際情勢に詳しくないので、ウクライナ侵攻に関して、マクロな面で意見する知識は十分に持っていない。が、関係の記事を読む限りは、私の体験した問題に通じる部分はあると感じている。

 ロシアの精神的な大地。アイデンティティ。つまり〈わたし〉のアイデンティティに自信を喪った者が、過去の栄光である〈わたし〉を取り戻すために、隣人を〈わたしのもの〉にしようとする精神を、ミクロなレベルでは感じる(詩「隣人」に書いた)。

 〈わたし〉のトランスパーソナル。自己の拡張。「何の疑いもない。安全保障のための正当な攻撃(解放)。責任は相手にある」私を攻撃する人も、プーチンと同じことを主張する。〈わたし〉を無意識に「ウチ(内、家、国)」に一体化すること。争いは、「ウチの安全」のために起こる。


 私にも〈わたし〉がうごめいている。仏教レベルで〈わたし〉を消去できるか。短時間なら可能だが、意識と感覚が機能している限り、つまり生きている限り、それは、非常に困難だ。

 

 太宰治のいう悪「無意識の殴打」を人々は行使する。しかし誰も何も考えず、無意識に、浅いところで、スルーだけをして生きているのではないだろうか。私の精神はいよいよオカシクなってくる。いたるところで闘う。もめる。自己愛がある限り。誰か、ひとりでも、味方がほしい。

 

 自分の感受性と他人・社会の感受性を区別できるか。自己愛が動機にありながら、外形的には善い行為をなし、無意識に攻撃する。境界線が消え、無意識の中で自己愛を他者愛と混同する時、悪は生まれると私は思う。私もこのからくりから無縁ではない。

 

 これは、そんな中で、「愛」「無意識の殴打」を解明しようとして書いた文章の断片である。

 

詩:ゾンビ

 

蘇った死人が徘徊する時間になると

ひとりでに目を覚ます

この死人には知覚がない 痛みを知らない

自分のも ほかの生物のも だから

創傷を刻むことは

彼の痛みでも ほかの生物の痛みでもない

剣を突く 槍を刺す 斧を振り下ろす

まるで潰すことを 痛覚の鑑賞を

彼の彼であるゆえんとして

確かめるかのように

意志はなく 認知もないゆえ

創傷を刻んでいる

自覚はない

 

いつ襲われるか

死人が休息するまで

一時たりとも安眠できない

躰は硬直し 緊張を解くことはできない

長い長い逃亡の末

疲労困憊したわたしは

朦朧とする頭で

幻夢を見る

徘徊する死人が

さまざまな音や心象に変化し

怪奇映画を上演するさまを

夢が現か? 叫ぶとそこは

まぎれもない夢の続き

 

太宰治は悪とは何か?と問われ

無意識の殴打

と答えた

キリストは十字架にかけられ

神よ、彼らをお赦しください

彼らは 何をしているのか自分でわからないのです

といった

 

知覚なく 痛みなく

意志なく 認知なく 

自分であることの

意識すらないならば

剣を突く 槍を刺す 斧を振り下ろすことは

善ですか?

悪ですか?

血の盃は わたしひとりで飲むものですか?

長い年月 刻まれた創傷を

舐めるだけで命の灯は

尽きますか?

死人の振り下ろす武器は

愛の抱擁ですか?

愛のヴェールは悪の

源泉ですか?

 

神よ、わたしをお赦しください

いっそわたしを お赦しください

 

 

手記
写真は反論を書き連ねた手記。加害者に渡し、私の文章にコメントをつける形で返ってきたが、「無意識の殴打」によって精神に深手を負い、不眠が悪化するのではと恐ろしく、3カ月間も読むことができないでいる。

【4/13追記】返信のコメントを、10日以上かけて分析しながら読んだ。プーチンの主張と同じ。「無意識の殴打」に満ちた文章で、鬱になった。