地底の声

世の中からズレてる人の書いたもの(詩・エッセイ・日記など)

〈自己愛〉と〈他者愛〉のはざまで(1)愛と暴力

 半年ほど前、身近な人(父)から暴力を受け、心を支えるために、手記(100頁ほど)を書いていた。感覚過敏でパニックを起こしたのが発端にある。

 身近な人 E氏(医者)に相談したが、それは「愛」と言われ、いよいよ追い込まれた。(検索されたくないので、あとで曖昧な表現にする予定。)

 

 あまり外に出られない事情があり、逃げ場所がなかった。家の中で四六時中、臨戦態勢。どんなに疲労困憊していても休むことができず、音に襲われる悪夢、幻聴、金縛り、夜驚が頻発し、泣きながら寝る日が増えた。交通事故を起こしかけた。薬は2倍に。最近やっと落ち着いてきたが、睡眠障害と闘う日々は続いている。

 

 信田さよ子氏はいう。家族には暴力など存在しないと2000年代初めまで考えられていた。暴力は受ける側に問題がある。なぜなら家族は愛情で結ばれているという常識があるから、と(※)

 

 何人かの専門家(発達障害含め)に相談したが、みなこの常識から無縁ではなかった。それで私は、専門家とも闘う羽目になった。精神に異常をきたした。

 助けを求めても、逆にセカンド・ダメージ(二次被害)を受けてしまう。彼らは彼らなりに、一生懸命仕事しているのはたしかだ。しかし、どんなに頭脳労働についている人でも、自分が実際に被害を受けない限り、問題を軽視すると知った。殴打された者だけが気づき、その事実を知っている。

 

 私の目の前にいるのは、男性優位の社会に無意識にあぐらをかく男性たちと、そうした価値観を無意識に内面化した女性たちだった。(私も例外ではない。)

 男性は男性で、覇権社会から暴力を受ける。その暴力が女性や子どもに連鎖する。問題は、この社会的な構造と、人々の無意識にある。

 

※「暴力の問題 知ることが生きる力に」朝日新聞記事2022.2.13

  信田さよ子『家族と国家は共謀する』角川新書