手記:『踏まないで!』第11章 高木さんとの対話
※この原稿は、現在執筆中の手記『踏まないで!』の一部分です。
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1
梅雨の季節真っ最中で、雨が降り続き、蒸し暑い空気が肌にまとわりついていた。二〇××年六月末日。毎月、石津宅で行われている恒例の文学会へ出向いたあと、メンバーにお披露目したこの聴覚過敏手記『踏まないで!』の感想を頂戴するべく、喫茶コメダへ向かった。
夜七時。休日の夜にもかかわらず、店内はさほど混雑していなかった。和食亭さとで一緒に夜食をとった文学会の主催者・石津さんと、禁煙席の出窓あるテーブルで待っていると、まもなく高木さんがその長身を現し、「やあ」と片手を挙げ、私の斜め前に座った。
高木さんは、文学や哲学に精通している教養豊かな中年の男性で、統合失調症を患っていた経験がある。この日の彼は気分が高揚していたらしく、鷹揚かついくぶん横柄な態度で、緑の高原に横臥するがごとく、高原と同色の緊張感のないポロシャツから悠々と突き出た腕と首を、軟体動物のように伸ばしきっている。いまにも座席からはみ出て寝そべってしまいそうだ。酔っ払っているのとも少し違う羽目の外しっぷりで、奇妙な陽気を撒(ま)き散らしている。
顔を合わせてすぐ会話の応酬は弾けた。八割は彼の言葉に耳を傾けていただけで、自分は聞き役に徹していたのだが。『踏まないで!』の得がたい読者の感想であるから、できるだけ一言一句漏らさず目前の金言を活写することが、そのときの私の、関心のすべてだった。
「一気読みするには 〝目玉〟 がないと! 正面玄関に飾る絵のような。みんなが憧れる 〝華〟 が」
と、高木さんは編集者のように、大上段に構えて豪語した。
かつて、自分の絵が大勢の視線の中で埋没してしまう、それは 〝華〟 がないからだと悩んだ経験がある。だから、言い分はよくわかる。恐れ入って、彼のアドヴァイスを、騒音を描写するための専用ノートに書き留めるばかりである。
「〝輝かしい経歴〟 が!」
と彼は豪放磊落(らいらく)に続ける。「俺ぁ、六章までは泣いてやったけどね。ふつうの人、あそこまでつき合ってくれるか?」鷹揚な、遠慮のない口調で、いけしゃあしゃあとのたまう。
あははははと笑って、彼の言葉を筆記しながら、私の心の奥では、何かが高速球で回転している。思考の土壌に、いま肥料が投入せられつつある。
「第一章は、出だしはイイ。盛り上がりがある」
「ほう、そうなんですか」
「でも、ひきこもりのエピソードはつまらない。つきあってくれるか? 読者を引きずり込めるか?」
「うーむ……」
なるほどと得心しつつ、
――しかしまあ、高木さんはひきこもりとは縁のない、ひきこもりを「知らない」人間だけれども、日本に何十万とひきこもっている生身の当事者にとっては、逆に目玉となるリアルな描写だろう。ひきこもりには、ひきこもりしか知らない、生々しい「体験」がある。
と思考を巡らすが、言葉にする必要を感じないので、何も言わなかった。
「鬱(うつ)を共有してくれる人、何人いるか?」
高木さんはさらに、突堤を崩すかのように突っついてくる。厳しい指摘でもなんでもありがたい助言には違わないので、私はまた「うーむ」と唸(うな)りながら、シャカシャカ右手を動かして、彼の台詞(せりふ)をノートに書き留めた。
「サナエはふつうの人。悪い人に思えない。よくわかる。トサカも理解できる」
さりげなく心の奥底に、もはや期限切れで暴発することはないが、小型爆弾のような、ピストルの弾丸のような形をした危険なメッセージを投入してくる。
ああ、そうなのねやっぱり、と私は観念したように思った。息絶えたかに思われた冷たい氷の塊が、いま再び凶器のように突きつけられながら、冷静にその切っ先を掴(つか)んでいるのであった。ワタシは 〝こちら側〟 で、アナタは 〝あちら側〟 というわけか。自分の立ち位置が、スポットライトを浴びたように、鮮明に心のスクリーンに浮かび上がった。やはり私はマイノリティなのだ――。
「Kさん(精神障害者当事者会の関係者)だって『こんな人対処しきれない』と言う。Hさん(同上)だって『こんな人がいるなんてオドロキ』って言う。B型事業所では音楽をかけまくる。黙々と監獄みたいに作業するなんて……。それは、天(あま)寧(ね)さんのような人がいるからだと思うけど」
「……うん」
最後通牒のようにも聞こえる高木さんの舌鋒(ぜっぽう)に、「わかりますよ」と言葉にならない言葉を無言で発しながら、私はびくとも動かない心の重い岩に手をかけて、無機的に首肯した。
「サナエとトサカに文句はつけられない。『耳鼻科に行けば?』って発言も悪意じゃない。ふつうの子たちがもっとすごい闘いをやっている」
「……」
「天寧さんの味方、どれだけいるか? 一緒に泣いてくれる人、いるか?」
「……」
「得意な、秀でた部分。ただものじゃない才能。一般の人に一緒に鬱になってもらうには、そうしたメインとなる憧れの、惹かれる世界がなければ。でなければ、買ってくれない」
「……なるほど」
それはそうだ、とまた首肯した。
「いまのままでは『呪いの書』。この呪いにあなたは耐えられますか? っていうようなもの」
「アハハ」
笑えるのか笑えないのか、突然投げ入れられた鋭利な冗談に、つい一瞬、破顔した。
「天寧さんはハードコア。シリアス路線なんだよ。俺ぁ、茶化すのとは違うんだけど、ポップで、立教体質だから」
立教大学出身である高木さんは、大学の気風が自分の性格を形成していると言うのだ。「天寧さんの友人のクマさんが立教大学出身って聞いたときは、縁を感じたけどね」
「へえ、そうだったんですか?」
大好きなクマさんの名前が出たので、思わずふっと和んだ。
さらに高木さんは、「一章は面白い」と重ね重ね誉めてくれた。
「冒頭の叫び声。あれがあるからほんとうの地震が起きない。人間の叫び声が聞こえなくなったら地震が起きる。『私が叫ばなければ石が叫ぶ』っていうのがあるんだよ」
その理屈は実体験に見事に一致付合したので、私はすこぶる合点して「へえー!?」と感心の声を上げた。それからふと「……で、詩『落日』はわかりましたか?」と質問を加えてみた。
「わかる。あれを読んでると、自分も天寧さんになる。追体験する。引きずられる」
こうした興味深い読者の反応を聞きながら、自閉症者ドナ・ウィリアムズの言葉を思い返していた。
〈優れた伝記とは、その人の存在の核に一~二度立ち寄ってみるというようなものではなく、直に触れるものです。そしてその核を感じ、体験し、またできれば理解もするものです。優れた自伝の記述は、事実や経験が、表層を打ち破って他者に伝わるのです。つまり、自分の中で起こっていることがあたかも他者の中で起こっているように捉えられ、また他者の中でのことが自分に起こっているように捉えられるところにまで、至るのです。〉(ドナ・ウィリアムズ『自閉症という体験 失われた感覚を持つ人びと』、誠信書房、二〇〇九年、ⅲ~ⅳ頁)
ところがすぐに、高木さんは、
「――で、読んでやめる」と言って、ついさっきの肯定の言葉をひっくり返した。「自分もそうなっていきそうになるから。天寧さんと同じように。言いたいことは伝わる。でも、多くの人が読んでやめる」
「……」
私は無言で彼の貴重な至言をノートに書きつけた。
自分の手記に、ドナがいう自伝の特徴はいくぶん備わっているのかもしれない。それにしても、伝わるからこそ「これ以上踏み込んではいけない」と他人に思わせるのだろうか? それとも、伝わらないからこそ、引き返させてしまうのだろうか?
高木さんは、泣いてやった、つきあってやったんだと傲慢にのたまう。その態度は、ドナがいうように、「存在の核に一~二度立ち寄ってみる」で終わってしまっている。それは、伝わったからこそ、じかに触れたからこそ、見てはいけない危険な何かを垣間見たように思って、引き返させてしまったのだろうか?
見てはいけない危険な何か。それは私の、珍妙で、特異な体験と感性。「特異」には、「普通ととくにことなっていること・さま」という意味がある(大辞林)。「普通」の感性をもつ高木さんは、「特異」な感性をもつ私を恐れ、奇異の目で見、心の中で「向こう側」へ隔離した。それでも、傲慢でふてぶてしい態度で迫ってきながら、こうして対話を続けてくれるのは、ありがたい歩み寄りには違いなかった。
議論に白熱していると、同じく文学会のメンバーである長門(ながと)さんが合流して、四人が二人ずつ対に向き合う形となった。私の隣に長門さん、高木さんの隣に石津さんが座り、全員そろって腰を落ち着けた窓際のテーブルは満席になった。
私と高木さんの応酬が活発に行き交うあいだ、長門さんは言葉少なに、ハンチング帽が乗っかった角刈りの頭を傾けて、章ごとに冊子にした問題の手記『踏まないで!』第一章から第三章の頁を、静かに両手でめくっていた。
議論は収拾する気配なく、いよいよ佳境に至る盛り上がりをみせていた。
「共感、共通感覚」
高木さんはついに、意味深なひとことを、明けの明星のごとく燦然(さんぜん)と導き出した。それは、聴覚過敏を考察するうえで、最も重要なキーワードである、
〝マイノリティ・センス〟
の裏返しの概念を象徴する言葉だった。
「そうなんです! それ」
私は我が意を得たりとばかりに叫んだ。そして、学生に向かって板書する講師のように、この掴(つか)みとった明けの明星の姿をノートに図解しようと格闘した。
高木さんは描き込まれた図を見下ろしながら、考え込むような顔つきでつけ加えた。
「共通感覚がないと……。目立つもの。何を売りにするか。みんなが注目するチャームポイント」
「それがないんです、私には。私にあるのは特異な、マイノリティ・センスなんです」
「絵がうまいとか、取り柄とか、紹介できるもの。さりげなく栄光を伝えられるもの。光の当たった部分、できることを提示しないと、伝えないと。画家だったらいいけど……」
高木さんの言わんとしていることは痛いほどよくわかった。私は最近体験した、印象的なある出来事を思い返していた。
2
二週間前のある日のことだった。
ある有名な詩投稿掲示板に、この手記第九章においてすでに記載した、「別れ」という詩を投稿しようとした。それは、〝満を持して〟 の発表だった。
なぜだか自分の絵が、詩が、表現が無視される――。
イラスト投稿でさんざんこの辛酸を嘗(な)めさせられ、何年も悩み続けた。それにも増して目も当てられないのが詩で、自分の詩サイトには読者がほとんどいなかった。発表しても、反響がまったくないのだ。それで、自分の詩はダメだと信じ続けて、ろくに公の場で公表せずにおいた。こうした人に好かれないという弱点を知悉していたので、二〇一七年に詩投稿掲示板の存在を知りながら、二年間、近づきもしなかった。
ところが、ことしの二月から掲示板をROM(リード・オンリー・メンバー。読むばかりで発表しないこと)して、他人の作品を一人でそうかそうかと味わいながら、けっこう楽しむようになっていたのである。自分の詩も以前よりはマシになってきたし、掲示板の雰囲気もわかってきたし、そろそろ完成した自作品を人前に晒(さら)してみたい、とウズウズしていた。
そうしていよいよ心の機は満ち、公表しようという気になって、問題の詩「別れ」を掲示板に投稿した。しかし、結果は――。
無視。
ほかの人の作品にはコメントが次々とつくのに、自分の作品には一つもつかずに、どんどん過去ログへ流されていった。初めて投稿した新人の作品には、今後を応援する意味をこめて、たいてい常連からコメントがつくのだが、そうした反応は皆無だった。Gさんやら、Yさんやら、Iさんやら、興味関心をもってその作品を眺めていた常連詩人がいた。その詩人たちからも、見事ガン無視だった。結果は、見るに堪えない惨敗だった――。
自分が特異な感性をもっていることは自覚していたので、その詩投稿掲示板には、わざと共通感覚の部分を拡大した詩を選んで発表したつもりだった。だから、反響はあると思っていた。ところが惨敗を喫して、実際のところ「別れ」という作品は、自分のあらゆる表現が結局そうしたminority senseに戻って来ざるを得ない私の孤独を、自閉を、まさにminority senseの真実を表現したのではなかったか? と思い当たったのである。
詩の世界においても感覚のマイノリティ! そうした現実を、投稿によって突きつけられた。私の感覚は、どうあがいても、骨の髄までマイノリティなのだ! minority senseこそが、この重たい十字架の源泉だった。私は己のminority senseにズタズタに引き裂かれて生きてきた、と告白する。
この失敗があってから、ことしの二月から五カ月間、朝から晩まで熱心にチェックしていた詩投稿掲示板を見る気が失せ、サイトに立ち寄らなくなった。詩を読み書きしようという創作意欲はパタリと途絶えた。
その代わり、minority senseを散文で書かねばならない、哲学しなければならない、と決意した。minority senseこそ、聴覚過敏問題の核心中の核心、自分の生命の骨髄に当たるテーマなのだ、と――。だから高木さんの「共通感覚」という発言は、まさしく骨髄を抽出するがごとき、決定的な重みをもっていたのである。
3
高木さんはマイノリティ・センスを普遍化する話題を広げて、こう提案してくれた。
「『叫ぶ私』っていうのはどう?」
「ムンクの叫びとか?」
「作家とか有名な、メジャーな人の自伝あるでしょ? その告白を読んだら」
それは身に覚えのある問いかけだったが、口下手なので、ああ、と頷(うなず)いて言葉をのみ込んだ。
他人の自分史なら昔から興味がある。手記の材料にするためでもあるが、一時期、日本自分史センターで資料を読みあさっていたし、現在も図書館でノンフィクションを借りたりしている。ちょうどいま机の前には、ドナ・ウィリアムズと、森口奈緒美と、テンプル・グランディンと、神谷美恵子と、佐藤優と、こばやしひろしと、太宰治と、森鴎外の自伝的作品が山積みになっている。しかし彼らの作品を参考にしても、私のminority senseは普遍化できないものらしい。
「いまの人ならポロック」
彼は次々に、偉人の名を打ち出してくる。
「ジャクソン・ポロックのこと?」
「そう。フォービズムならゴッホやマティス。絵はどうやったら生き残れるか?」
ゴッホの自伝はいずれ読みたいと考えていたので、速記しながら、うんと言って相づちを打った。
「モディリアニなんか悲劇。紹介、ストーリーを参考にして。ドラマがないとね」
「へえ、モディリアニ?」
「俺は死後のストーリーに惹かれて。昔から哲学者が好きなのは、哲学じゃなくて、哲学者のスキャンダル。ニーチェが発狂したとかね」
「なるほど」
「画家ならギーガ。暗黒の絵。アンチ・ロマン」
暗黒の絵と聞いて、二〇代のころに福永武彦の『死の島』を読んで、アルノルト・ベックリンの絵「死の島」が小説中の題材に登場していたことを思い出した。
「ボルヘスとかもいいよ。二〇世紀の人ならジェイムズ・ジョイス」
「ジェイムズ・ジョイス?」
聞いたこともない名前を耳にして、私は記憶に刻みつけるように、作家の名をオウム返しした。
そのときふと、高木さんは、
「マイノリティ・センスは、『呪い』だよ」
と衝撃的なひとことを放った。その言葉のインパクトは強烈な余韻を伴って、たちまち私の心を占領した。
「呪い!?」
「それは弱い」
「えっ……」
「A型(事業所)もB型(事業所)もシロウトばかり。あなたの医者も言ってたでしょ、A型にしがみつくのはつまらないって。A型もB型も、手記の描写は書いてあるとおり。まさにある、あんなとこ。真実。特異な才能を、取り柄を生かすことだよ。あんなとこでがんばる必要ない。『辞めれば?』って忠告されたんでしょ? がんばった、かかわらなくていい」
「……」
うれしかった。が、その感情は言葉にならず、黙々と台詞(せりふ)を書き留めるだけが精いっぱいだった。
それから彼は、「どこにも音があって、どこに行っても地獄って思ったんでしょ。この世はみんな地獄だよ」と重々しそうでもなくさらりと言い捨てて、第二章「自問自答」の感想を一言二言述べたあとに、続く章についても言葉巧みに言及していった。
「第三章は鬱が感染する。手紙は正義を、スジを通しすぎ。訴訟タイプの人間でしょ。A型は無法地帯なのに」
「無法地帯っていうのは、さっきの『どこに行っても地獄』というのと、同じことですか?」
「女性もそうだけど、男性だったら社会に出たら戦場だし。誰でもどこに行っても地獄」
「……」
真理を得て、私は神妙にうつむいた。
「ふつうの人は、地獄の果てに輝きを見つける」
「もう、疲れましたよ私は」
「天寧さんの年齢では、まだね」
輝きなんぞ欲しくないと、言いたいことはあった。最近読んだ本(アルボムッレ・スマナサーラ『苦しみをなくすこと』、サンガ新書〇一〇、二〇〇七年)の記述を思い出して、私は黙っていた。
〈外から家に誰か入り込んできて、みんな殺して出て行ってしまう。自分の身にそんなことが起きたら我慢できるでしょうか。無理ですね。悲しいでしょう。ですから、やっぱり人生はろくなものではないのです。そのような悲しみは極端だとしても、たとえば畑をつくっても洪水に流されるなど、生きる苦しみは常にあります。それで、人間は希望的観測で天国というものを夢見るのです。〉(八六頁)
〈みんな妄想しているということは、生きることが苦だと知っているからなのです。〉(一四八頁)
高木さんが妄想するのは、生きる苦しみを知っているからにほかならないのだろう。彼は諭すように、社会の道理を説き続けた。
「そこまでスジを通せるような世界ではない。そこまで考えられない。なあなあで動いている、人とのつきあいは。専門家はOK、こんな人もいるんだと思う。けど医者でも、天寧さんのような人を知らない人はいる」
しみじみとよくわかる言い分だったので、私はやはり厳かな気分で黙っていた。
「クマさんが言ったんでしょ、拡声器って。『弱者の逆襲』って。あれが呪い。第三章の呪いと鬱は感染する。自分がサダコ」
貞子とは有名なホラー映画の登場人物で、現世に恨みと呪いを残して亡くなった女性らしい。
「取り憑(つ)かれて、読まなきゃと憂鬱で。第六章で泣いてやって」
この日、何度も繰り返された彼の愛敬ある冗談だった。私はまたウケて口辺を緩め、あははと笑ったが、心はさっきより少し乾いていた。
「これ以上読めないといったん寝て、第六章までの暗黒を忘れて、流して、怨念は消えて……。第七章からは知っているエピソードがあったから、そうかそうかと。最後の、クマさんのハッピーエンドは書き直したほうがいいけど。――で、」と彼は話題を最初に戻して、「第一章を読み返してオモシロイと。それで『令和』書いたの。俺なりの、体験談を書くときの指南書」
「令和」というのは、コメダのテーブルに着席したときに、すでに「これ読んでみて」と手渡された、高木さんが書いた短編私小説のタイトルだった。A四判用紙に印刷されたその作品は、綴(と)じ合わされないまま茶封筒にしまわれて、テーブル脇の出窓に立て掛けられていた。
そのときふと、それまで黙って手記の冊子をめくっていた長門さんが、ポツリと、
「モトヤユキコだね」
と、呟(つぶや)いた。佐藤優の本で紹介されて読みたいと思っていた小説の作者、本谷有希子のことだろうか。
「シリアスなんだよ。現代詩手帖とか、専門用語の世界」と高木さんが補足した。「人間の心理、精神医学の。関係者は参考になる。でも、医者でも読みたがらないよ。医者はミーハーで、楽しい話しか興味ないからね」
「医者って、そういうものなんですか?」
「シリアスなことなんかつきあってくれないよ。ムズかしいことは興味ない。見た目で判断するから。俗物の塊(かたまり)。ミーチャンハーチャン」
それから、医者がいかに患者を手玉にとっているか、うわさ話が繰り広げられた。文学会のメンバーは全員、精神障害をもつ患者だったので、この手の裏事情をよく知っている。
そうして盛り上がっていると、いつの間にか、長門さんはさっきの「モトヤユキコ」を置き土産にするかのように、手記の冊子をパタッと閉じて、静かにテーブルの上に置き、
「僕、もうそろそろ帰るわ」
と言って、素早く立ち去っていった。その姿はまさしく、高木さんが予言した「多くの人が読んでやめる」という人々の反応を再現し、実証するかのような、「見てはいけないものを見て、引き返した」といった風情にも、思われなくはなかった。
4
長門さんが退席して、医者のうわさ話が一段落してから、高木さんは「これはこれでいいけど」と、手記に話を戻した。
「ひきこもりのエピソードは割愛したほうがいいね」
自分の心の支えであり、ロールモデルである自閉症者の森口奈緒美さんは、こう書いている。
〈立証できない事柄も、潰された事実も、証しの記録(「アカシックレコード」と著者のルビあり)でなら読むことができる。(中略)「自伝」は、今の私にできる、唯一の証しなのだから。〉(森口奈緒美『変光星』、花風社、二〇〇四年、九頁)
ひきこもりの体験はそう簡単に割愛できるものではない。だから、んー……と言葉を濁して、考え込むしかなかった。
彼はさらに、手厳しい指導を続けた。
「クマさんが前面に出てこないと救いがない。書いてることに出口がないと。書く方に救いがないと」
「私まだ、立ち直れないんです。だから立ち直るために書いたんです」
「立ち直ってから。このままだと排泄物」
それはよくわかっている。自分の詩もそうではないかとかねがね自覚し、そして絶望もさせられている。
「いずれ何書いてたんだ? と思える時がくる。読む方も救われないと」
「それはそうですが……」
「『呪い』がクマさんのいう『逆襲』」
高木さんはまた、さっきの墓標のごとく厳粛で、ここを無傷で素通りするのはかなわない重大な説を、容赦なく引っ張り出してきた。しかしその耳に痛い説諭は、自分にとっても、この謎を解き明かせば、迷い込んだ迷宮の出口に至る鍵を発見できるかもしれない、歓迎すべき話題だったのである。
「呪いが解けないと、人が読めるようにならない」
「……」
わかってはいるのだ。しかし、どうすればいいのか? 第十章で述べたとおり、「地獄の亡者のように、歩む足をズルズル引き下ろしにかかってくる聴覚過敏から、少しでも開放されたい! だから私はここまで書いた。」自分が呪いから解放されるために、書くしかなかった――。
「私、ひとりよがりですよね?」
わかりきったことを、確認するように口にした。
「そういうところはある。Tさん(文学会の同人)の『まわりが悪い』と言い分は同じ。あなた方のせいでこうなったと。そう捉えたくないから『呪い』にかける」
「……」
「スジを通したい。認めさせる、社会に。マジョリティ・センスをもった人たちに」
「……ええ」
「聴覚過敏は驚き。でも呪いは呪いでまた別のときに。『こんなもの書いてた』って気持ちが変わったら」
そのとき私は、どうしても消せない過去を思い返すように、しみじみ告白し始めた。
「昔、働いていた職場で、ある先輩がいました。その人は、障害があっても人間は平等で、みんなで一緒に仕事をするんだ、共生して生きていくんだと教えてくれました。それから私は、そういう『政治的(ポリティカル・)正しさ(コレクトネス)』を掲げて、A型事業所で闘いました。でもうまくいかなかった。こんなふうになってしまって……」
いかに自分がボロボロに打ち砕かれ、進退窮まって命を磨(す)り減らしたかを、身振り手振りを交えて、切々と吐き出すように語った。「だから、命を賭(か)けて、書いたんです……」
すると高木さんは、鋭くこう言った。
「いま言ったことを文章に。それをふつうの言葉で」
「え?」
「心が折れて、味方がいなくなった。自分でも手に負えなくなった――どうしたらいいの? 泣いてるだけ。救ってくれる人は誰? あなた? 違う?」
さっき私がこぼした弱々しい発言を、彼はそっくりそのまま復唱した。まるで舞台役者のように、私になりきって心情を代弁し、腕を広げて滔々(とうとう)と演じていた。喫茶店の薄暗い照明が、スポットライトのように、彼の上半身に降り注いだ。
「! つまり――」私は心の中で、アルキメデスが叫んだという「ユリイカ!」を発した。「誰かに呼び掛ければいいんですね?」
「モノローグだと硬くなるから、柔らかく。不適応をどうしよう? 誰が面倒見てくれる? あなたなの? あなたのはずよ」
とまた、高木さんは私になりきって、女言葉で流暢(りゅうちょう)に演技した。
促されるように、私は最近の体験を、熱意をこめて語り出した。自分を支えてくれる家族の声を聞いただけで、肉体に爆弾が埋まっているのを感じる苦痛。九九九九人とスダさんに語ったものの、九九九九九人かも、九九九九九九人かもしれない。九九九九九九人の生活が私一人の生活と生命を脅かす。
「この迫害的な命を、もう、許して。この爆弾を……。世間の人が私を許さないことにも、私自身が私を許さないことにも。もう、許して……」
絞り出すような声で、祈りをこめて、目の前の高木さんばかりでなく、背後にいる何者かに語り掛けた。
「リベラメ」
と、高木さんは厳かに言った。
「え?」
「メというのはME。我を許したまえ」
「……そう、許してほしい」
「門をたたけ! 開けてもらえるように。祈りにもっていければ開けてもらえる。欲望とは他者の欲望であり、存在理由。『このままでいさせてください、このままの私で――』と。誰かに、〝あなた〟 に呼びかけることが必要。〝私〟 一人ではなく」
手記を新たに書き加える必要を、私は痛切に感じていた。その原稿の中に、まさに面前で繰り広げられている、高木さんと私のダイアログを再現する必要も。
「マイノリティの主張は、同じ苦しみを味わわせてやりたい、でしょ」
高木さんの問いかけに、「そんなことはない」と思ったが、口にはしなかった。
「でも私は私、あなたはあなた。社会と接点がなければ、つくりあげた世界はクローズド。でも俺、手記読んで、『令和』書けた。それが感想」
だから、クローズドではなかった、と彼はみずからの作品を引き合いに出して、証明するのだった。
トレイを下げにきた若いウェイトレスに、石津さんが「そろそろですか」と問いかけると、彼女は「ええ、もうすぐ」と返して、閉店時刻が近づいているのを知らせた。その言葉どおり一〇分もたたないうちに、クラシック曲「蛍の光」が名残惜しげに流れてきた。満席ではないものの、八割近くの座席を埋め尽くして休日の語らいを楽しんでいた客たちは、一人、また一人と出口へ吸い込まれていった。コメダに入ってから、いつの間にか三時間が経過していた。
店内に入る前に出現していた聴覚過敏の、肉体に埋め込まれた重苦しい爆弾は、いつの間にか気配を殺していた。高木さんとの議論はもちろん文学会メンバーとの雑談が、音に反応して燃え立つ寸前の炎を鎮火させたのは、明々白々であるように思われた。
高木さんは自分ではマイノリティというけれども、私ほど険しいマイノリティ感覚はもっていない。そのために、世間の人と同じように、私を 〝向こう側〟 へ押しやるのかもしれない。私の姿が見えていないがゆえに、断ち切られたままの回路は依然として存在しており、互いの岸辺へ分断されていくのかもしれない。
しかしこの、ブラックホールの中心孔のように暗黒で、入り組んだ洞窟迷宮のように奥まった、マイノリティの隠匿(いんとく)された扉に手をかけ、コンコンとたたき、「君はいるか?」と誰何(すいか)してくれたのは、またとない僥倖(ぎょうこう)には違いなかった。いつかは途絶え、消え入るかもしれない誰何だけれども、その一瞬の呼び声はたしかに熱風となって心の扉に吹きつけ、私に思わずこう言わせていた。
「パソコンのメールアドレスを教えてください。もう少し意見を。携帯は煩わしいからダメですけど」