地底の声

世の中からズレてる人の書いたもの(詩・エッセイ・日記など)

詩:考えることが好き

考えると詩が書けないよ、と

詩を書くひとがいった

なるほど考えていると

詩が書けない

わたしは欲張りだから

感じたい

考えたい

どっちもやりたい

どうしよう?

 

考える

割り切れない

答えは出ない

時間も気力も体力も

消耗する

 

でも巨きな鉱山の

洞窟で

先人の手真似で

誰も見たことのない

金塊が

芋づる式に

たくさん採れる

ざくざく採れる

結局どういうこと?

黄金長方形にならないけど

輪切りにした断片が

つぎつぎに

まぶしい産声を上げて

きらりと姿を見せる

ああ ユリイカ

その燭光

目を見張る財宝

わたしだけの!

すべての人の

 

ゴチャマゼはゴチャマゼのまま

仕分けていくと

色や形が顔を出す

滓は濾し分けられ

概念が鮮やかに

浮き出てくる

長い年月かけて熟成された

その一滴は

入り組んだ迷宮に

幾重にも張り巡らされた

秘密の鍵を

いっせいに解き放つ

とびきり美味しい

 

考えるパワーは無駄?

そんなことはない

見て あの鍾乳石を

天井から一滴一滴

したたり落ちる思考は

かたい石筍となって

わたしの背骨になる

たった数センチの

やがて石柱となる

ダイヤモンド

 

考えること

わたし 好きだな

考えて考えて考えて

明日の背骨を

組み立てたいな

素敵な瞳に

出合いたいな

 

でも

頭の変なところが膨らんで

感じることばが

おしくらまんじゅうする

どうしよう?

感じることと考えることは

別のもの?

思惟が感覚を駆逐する

感覚が思惟を駆逐する

手を取り合ってどうなる?

えい感じちゃえ

考えちゃえ

どっちもやっちゃえ

頭も心も

煙が出てきた

 

(2022.3.5)

詩:枯れ尾花

夜がひらき 落下する

瞑目 憩いの黄泉に横たえる

肢体の門に 引転する

幽かな知らせに

識る 探照灯

    浮き、沈み、

   沈み、浮き、

  浮いて、浮いて、

 浮いて、いく

唯識の明滅が

闇夜の溶けた 黎明へ――

 

閾の水面から 面を上げれば

地上の墓地

閂の落ちた 霊廟に

屋根の下を

夜毎、夜毎、徘徊する

枯れ尾花の

ゆらめく影が――

    いる、いない、

   いない、いる、

  いる、いる、

 あぁ、いる、

朧な輪郭で

彷徨している

 

夜にひらく 昏い朝の

来訪を告げる 識らせが

唯識を 己の座へ

墓地へ 連れ戻していく

    あぁ、来ないで、

   こっちへ、来ないで、

  来ないで、来ないで、

 あっちへ、行って、

見ないで、見ないで、

見つからないで!

 

枯れ損なった 枯れ尾花の

足音を 手繰り寄せる

張り詰めた 唯識

肢体の重力を 持ち上げ

浮揚を繰り返す

闇夜の溶けた 黎明に

 沈め、沈め、

  還れ、還れ、

   墓碑の、盛り土の底へ

    黄泉へ、黄泉へ、

     この我意もろとも

      触れ 識ることの

       途絶した静寂

        安息の 空へ!

 

(2022.3.4)

詩:空孔

  ――空孔ヨ、私ヲ呼ベ

 

魂鳴りの奥の

重心に居座る

カルデラは巨きく

火口を開き

肉厚の ヒタヒタ震える

深淵、爆発の呼気の

発炎筒に

空隙の椅子は

背を待っていた

 

  ――空孔ヨ、私ヲ満タセ

 

ある時 君が座ると

日溜まりは注がれ

カルデラの口を埋めた

背凭れの形はそのまま

君を嵌め込んだ

糸巻きのような

長い長い日常

ふいと立ち去った君は

手綱を失って浮き上がる

隠匿された空孔を

再び突き出した――

 

  ――空孔ヨ、

  ――コレコソ我ガ座

  ――君デ満タスナ

  ――己ヲ乾カシ

  ――塑像ヲ創レ――

 

(2022.3.15)

 

 

【ひとこと】

十代の頃から感じていた、根源的な存在不安を書きたかった。

そのイメージを視覚的に描写しようとした。

何度も何度も書き直したが、うまくいかなかった。

象徴に象徴を重ねる結果になり、つくりもののような、非常に不安定な作になってしまった。

私の実力ではこれが限界。悔しい。

詩:祈り

神よ

たとえあなたが見えなくなっても

この祈りを許してください

 

神よ

たとえあなたの声が聞こえなくとも

この祈りを聞いてください

 

神よ

たとえあなたがいなくなっても

この祈りを残してください

 

神よ

たとえあなたがまぼろしであっても

この祈りを届けてください

 

(2016.7.15)

詩:記憶(Voice of the trauma)

かすかなひび割れの底から地獄が這い出してきた。

平静の裏に押し込めた記憶が悲鳴とともに躍り出て。

 

  塔から見つめる暗闇は彼方まで続いていた。

  声にならない唸りを上げて、ぞろぞろと列をなしていたのだ。

  ここまできてはいけないよ、時々見張っているけれど、

  胸底で燃え、焼け、渦巻き、ヘドロのように沈下して血潮を鈍らせるお前は、

  毒に満たされた浅い呼吸を吐くのだから。

  ――かつて、わたしはそこを見ていた。

 

平生は素知らぬ顔で揺られていた。

そこ、ここ、あそこに花畑。

麗しいうたをひらひら降らし、きれいな蝶々を追いかけて。

もはやとどまるまいと一目散に駆け抜けてきたわざわいは、

その輪郭を薄めたかに見えた。

そのうち霞と消えるだろうか? わたしは胸をなで下ろした。

ところがそうはいかぬと、そいつは待ち構えていたのだ。

薄い皮膜の内側に、ぱっくり大きな口を開けて。

 

どこからともなく悲鳴はつんざきこだました。

わたしは驚きをもって声の主を見た。

そいつはうっすら嘲笑して、勝ち誇ったように腕を掴んでいた。

一体どこにどのようにして、これほどの苛烈が、

水面下で密やかに進行していたのか?

それともこの惨状は、恐怖がつくり上げたまぼろしなのか?

ぞろぞろと列をなしていた亡者は、再びわたしを踏みつけた。

 

膿み出してやったのだ、とそいつは言った。

お前はわたしを忘れ去ったまま葬り去ろうとしているのだから、

たまにはお前のままにならない記憶をこうして再現してやるわいな、と。

そうなのか? とわたしは驚きあきれて問うしかなかった。

 

(2016.3.21 『声・まっくら森』収録)

 

 

【ひとこと】

昔の作品。今読んでも痛すぎる。

 

詩:放送禁止用語

〈ピー〉のなにがわかる?

〈ピー〉のなにを知っている?

〈ピー〉を聞いただけで耳を塞ぐ きみは

〈ピー〉だ

〈ピー〉を書いたひとは 何十年も

〈ピー〉のなかで

〈ピー〉にひっぱり回され

〈ピー〉にひっかき回され

〈ピー〉にひきずり下ろされ

〈ピー〉にひっからまって つまり

〈ピー〉の血まるけになって

〈ピー〉ともみあってきたのだ もはや

〈ピー〉が生活であり

〈ピー〉が人生であり

〈ピー〉がつまり 大地なのだ

〈ピー〉に立つ わたしの足跡!

〈ピー〉よ! 気高く卑猥な!

〈ピー〉を知らない者だけが

〈ピー〉を禁じる それが

〈ピー〉だ とうぜん

〈ピー〉を知っている者など そうそういない

〈ピー〉を人生にするほど

〈ピー〉されたら

〈ピー〉としかいえなくなる

〈ピー〉をほんとうに知っている者だけが

〈ピー〉を口にできる

〈ピー〉する特権を持っている そのことも知らず

〈ピー〉を語るな?

〈ピー〉! お笑いだな はっはは!

 

(2022.1.30 蒼炎浪漫 vol21 掲載予定?)

詩:幻の風船

壮大な

幻の風船が弾けた

中身は見事に塵芥

残るがらんに赤面の体

そうだ、そうだ、それでいい

流れ着いた終末の明日に弾けていたのでは

とっても耐えられるまい、さ……

 

それでも昏い感傷は

懲りずに夢をみるようにできているらしい

とどまるところを知らない狂騒

忘れたのか

ありもしないものは

だんだんだんだん潰えゆく

もう二度と砂塵の塔を描くまいと

むしろ息あるうちに

瞼の上の白濁を

取り払わねばならないと……

 

壮大な

幻の風船は弾ける

そうだ、そうだ、それでいい

流れ着いた終末の明日に弾けていたのでは

とっても耐えられるまい、さ……

 

(2017.6.9)

詩:ゆううつのみち

くるひもくるひも めらんこりいのかげが

のべつまくなし うってゆく

このみちのさきにのみ こたえにいたるもんはある

わたしはそれを しっている

ゆこう ゆこう ゆううつを

ときどきは ささえるものが あるまいか

ゆううつのうみは とてもしょうもうするから

ほんのすこしでも たてるあいだに

みのまわりのせいかつを ととのえておこう

そうしてふたたび うみにのまれたら

しずめるからだを やりすごしながら

そのときがくるのを まつがいい

あゆみは きざまれている たしかに

こころは つむがれている たしかに

だから きょうのちいさいりずむを

ひとつひとつ ひろいあげながら

みえないもんを かなたにみつめて

ゆこう ゆこう ゆううつのみちを

 

(2017.5.4 『声・まっくら森』掲載)

感想:「サミュエルを庵に閉じこめたとき+スティグマ」に寄せて

橋本正秀「サミュエルを庵に閉じこめたとき+スティグマ

これはもう一夜の夢のようなお話。竹林の中に忘れ物のように佇んでいる小さな物置でのお話。奔放な竹に囲まれた一隅での物語。

 

サミュエルを庵に閉じこめたとき

僕に向かって咆哮するだろうか?

サミュエルは僕にとって何なのだろうか?

赤色発光し、青色散乱?

喧噪のロウンド、ルフランとク―プレの狂躁の中で死を迎え狂騒の中で蘇る小テーマ?

サミュエルと僕との関係は、彷徨える形式のラウンド?

 

その証拠に、サミュエルは、いつもいつもいつも、いつものように?

何かというと僕の顔色をうかがってそう覗きこんだ瞳の奥にどこよりも深い眼差しがあることを忘却させる手練手管のささやきの?

いや、いな、そう思える?ほどに僕にとってのサミュエルの重大事態なのであろう?

とにもかくも、サミュエルが僕の存在と僕がサミュエルの存在と認識する縁(えにし)が?

そんなことどもに関わらず見られているという意識がたえず自分にはあるのだ?

 

いやいいや、ただただ見ているだけではなく当然のことのように?

わたしの行動の一挙手一投足を見下して行く手に立ちはだかってくるのだ?

しかも、親切にも私を身近な操り人形のごとく見なす職分のように?

僕の手足は、ただただ不器用の所作のうちにも蚤を穿(うが)ち?

血肉を己が血潮で穢す?

 

そんなこんなでそうすると最早穢しているのやら?

ただひたすら穢れさせられているのやら?

ただただただ穢しているとやらいう実体があるにすぎない?

秋のうすら寒い朝、僕ら(僕とサミュエル)はかねてよりの計画を計らうのだ?

サミュエルに悟られぬように慎重に慎重に内密にお静かに?

立てたものだが?

 

頬こけてミイラのような僕であったのか、サミュエルであったのか判然としない夜明け?

だがだがたしかに、つぶさに計画したのさ。これまでの僕の僕らを支えた企みが?

サミュエルに知られていないことにかけたのさギャンブルのような賭け事のように?

時には、ちらっと、知られてしまったのではという猜疑に悩まされることもあったのだ?

 

が、しかしながら、僕はまあ、とにかく、知られていないと思い込むことで安心しつつ暮らすことに無理矢理していた?

サミュエルに知られずに僕に知られずにこの計画を思い浮かべることが密かな楽しみ?

が、とにかくもこの計画いよいよ決行しようとした?

 

初稿は? 物置の中から出てきた草稿? 夢の中で? 夢の中で夢にまで見たものが物語る?

 

(蒼炎浪漫 vol.20 掲載)

 

「サミュエルを庵に閉じこめたとき+スティグマ」に寄せて

 

 もう忘れてしまった。否、忘れたい? そんな出来事があったかどうか。否、たしかにあった? 朧な記憶。そんな過去の悪夢が顔をのぞかせ、読者に、あるいは作者に囁くような、さりげない語り口で、物語は始まる。壮大な物語を波乱万丈に展開するというふうでもなく、「あの時」の心象を、まるで息をするように、一気に書き留めている。その記憶の断面は、禁忌を窃視するような、強烈なインパクトを読者に与える。

 

 サミュエルとは何か?

 

 従順でおとなしい生き物ではないらしい。怪奇映画のエフェクトを思わせる狂騒の中で、何度も何度も生滅している。「僕」の中にいた(る)、あるいは棲んでいた(る)、獰猛な狂獣のような、異形の存在。「僕」とは切っても切れない関係らしい。

 

 神の目のように、パノプティコンの主のように、「僕」を監視しているような、その意味ありげなまなざし。「僕」を見透かしているようなのに、そんなことを気取らせもしない。「僕」は混乱したままサミュエルの視線を感知するが、神のように振る舞うそいつは、己の手品を露見させない。

 

 サミュエルが「僕」に影響を及ぼすほどに、彼を気にする必要はあるだろうか? 重大に扱う価値はあるのだろうか? 彼は「僕」を、「僕」は彼を、互いに認識する。「僕」の存在としての彼。彼の存在としての「僕」。その因縁によって、互いは存在している。

 

 ともかく彼の視線がのしかかるように重いのが気にかかる。ある人は、宇宙が存在しているから自己が存在しているという。ある人は、自己の存在に耐えられないから宇宙を創ったという。サミュエルの視線が「僕」の意識を生んでいる? あるいは逆? 「僕」の意識からサミュエルが生まれた? 「僕」は、彼は誰だ? 一文一文の語尾に付される「?」が、自明なるものの喪失、「僕」の意識の混乱、世界の混沌、何者かへの問いかけを暗示する。

 

 サミュエルはパノプティコンの主?であるばかりではない。「僕」の一挙手一投足を操作し、拘束してくるようだ。所作が狂った事故なのか、あるいは束縛された自暴自棄からか、「僕」は自傷する。やらされているのか、自分でやっているのかもわからない。血潮に穢される肉体があるばかりだ。

 

 もはや「僕」かサミュエルか境界のなくなった自己は、ついに、監視者の目を逃れようとひそかに計画を立てる。彼に認識されることのない新天地を目指して。察知されてはいないかという不安に囚われながら。

 

 企図する。行動を思い描く。そして遂行する。その意志が芽生え、温めた瞬間。「僕」でもサミュエルでもない、新たな自己が誕生したのではないだろうか。意志は、自己を存在させたのだ。「僕」とサミュエルを超えて。

 

(2022.3.13 蒼炎浪漫 vol21 掲載予定?)

「地底の声」へようこそ【ブログ概要】

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「地底の声」へようこそ

このサイトは、kouの書いたもの(詩、エッセイ、手記、日記、感想などの文章)を発表する場です。

 

「全生命が瞬間にひらききること。それが爆発だ。その生き方こそが芸術だ」

岡本太郎の言葉に背中を押され、存在の基底に横たわる、深い自己を介さずしては現れない〈自己表現〉を目指したいです。

ただし、ドナ・ウィリアムズのいう〈暴露不安〉もあるので、葛藤の中で、表現の仕方を模索しています。

 

コミュニケーションとしてのブログでは、〈対応者〉として、コミュニケーションのための自己開示がなされます。

けれども私が〈対応者〉になれば、創造の刃先が鈍ります。

〈自己表現〉したい、創造したい気持ちが強いため、〈対応者〉としての、コミュニケーションのための自己開示や表現は、最小限にとどめています。

 

〈自己表現〉とは内臓表出のようなもの。剥き出しで、痛々しく、恥も外聞もなく、愚かなものです。苦手な方はご遠慮ください。

 

私の内面が非常に複雑で、多様であるため、作風(発信する情報)は一貫していません。

詩で〈自己表現〉するほか、徹底的に分析したり、脈絡のない諧謔を放ったり、自閉的な独り言をぼやいたり、とつぜん柔らかい口調で話しかけたりすることもあります。

「こういうイメージ」で見ていたのに、「なんかイメージと違ってきた」とズレていく可能性大です。語り口がコロコロ変わって申し訳ありません。

 

書いた人について

感じること、考えることが、多くの人とズレる異文化ギャップを抱えています。

幼少期から自閉スペクトラム症の特徴がありました。親も自分も知らず、気づかず、普通学級に通っていました。

当時は支援もなく、一人で無理を抱え込んだため、鬱病神経症、解離などの二次障害が頻発しました。

20代の頃、森口奈緒美さんの本に出会い、成育歴をまとめ、アスペルガー症候群と診断されました。

社会不適応が酷く、職場を転々とし、二次障害が悪化しました。

聴覚過敏が重症化して外出困難の状態です。

小澤 勲『自閉症とは何か』に「自閉症の予後」なる記述があったと記憶していますが、私の場合、社会的には「悪い」に相当すると思います。

その分、〈自己表現〉に力を入れるようになりました。

ちなみに数年前、HSPの本を読んだところ、点数は非常に高かったです(100点以上)。身体的にも精神的にも、繊細というか、過敏です。

 

「地底の声」運営の目標

2022年3月現在、投稿数が90記事ほど。少なすぎる……。

難産。遅筆。生産性の低い自分がはがゆいです。

けれどもこのブログは、ほとんど読者がいないので、モチベーションが湧かず、つい放置。記事が増えない悪循環に陥っています。

せめて200記事、いや150記事あれば……というのが、自分の中の目標です。

 

本の紹介

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『天寧煌子詩集 声・まっくら森』

2017年7月15日発行 V-企画

 

    地を伝えば石礫
    宿を守れば震源

    額に刻まれた
    カインのしるしのために
    わざわいは招き寄せられ
    わざわいから守られる

    このしるしあればこそ

 

社会との葛藤から噴出する魂の叫び。

自閉スペクトラム症の体験を詩でつづった自分史的詩集です。

目を覆いたくなるほど未熟です(苦笑)。

岐阜県図書館、日本自分史センター(文化フォーラム春日井)で読めます。

 

 

ホームページの紹介

 どのホームページも、更新は、非常~~~に遅いです。

数年に1回ということも……???(ブログとしては死んでます)

これまで勢いでホームページをつくっては、数年放置した末、閉鎖するということを繰り返しました。

日々の生活に余裕がなく、たまにネットにつないでも、「緘黙」状態になることが多いです。

一時に大量の記事を投下するか、長期間(数ヵ月)緘黙状態で貝のように黙るか。どちらかになりがちです。

 

私は非常に未熟な人間です。

書いたものがすぐ嫌になって、消したくなってしまうのです。

このサイトもそうなるかもしれません……。

 

roots-amanekouko.hatenablog.jp

 

  • 絵のホームページ「gallery-komichikise」

 

https://komichikise.tumblr.com/post/171719027295/%E6%B5%81%E9%9B%B2%E6%AE%8B%E9%9F%BF-%E4%BD%BF%E7%94%A8%E7%94%BB%E6%9D%90-%E3%83%AF%E3%83%88%E3%82%BD%E3%83%B3%E7%B4%99%E9%80%8F%E6%98%8E%E6%B0%B4%E5%BD%A9%E8%89%B2%E9%89%9B%E7%AD%86

komichikise.tumblr.com

 

 

  • 小品のホームページ「other-komichikise」
https://other-komichikise.tumblr.com/post/187374044387/%E3%82%AD%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%B3-%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E9%89%9B%E7%AD%86-%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%B7%B4%E7%BF%92%E3%81%AB%E6%8F%8F%E3%81%84%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%99

other-komichikise.tumblr.com

 

 

  • らくがきのホームページ「memo-komichikise」
https://memo-komichikise.tumblr.com/post/173378669093/%E9%80%94%E4%B8%AD

memo-komichikise.tumblr.com

 

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【作品一覧・紹介】ブログ内作品(手記/小論文/小説)へのリンク - minority sense

詩:隣人

足音たかく

雪崩れる嵐に乗って

賊の頭巾をかぶった隣人が

柵をまたぐ

花壇の若芽を

踏み荒らし

扉を蹴破りざま

きみの鼓膜の奥にするどく

怒号する

〈俺の家のものになれ!〉

〈俺の家になれ!〉

〈俺になれ!〉

 

散乱する家具

きみは背後のない壁を後じさり

鞄からこっそり

鉛筆を取り出して

見下ろす隣人を捉えた

震える手でかれの姿を

紙切れに刻みつけた

 

〈俺になれ!〉

怒号は筆跡のなかに

きみの家を建てた

 

〈おまえの家のものにならない!〉

〈おまえの家にならない!〉

〈おまえにならない!〉

 

柵のない柵の 境界に

やわらかく かたい

流れる不動の

礎石の上に

おまえは おまえ

きみは きみ

俺は 俺

 

(2022.1.30)

小説:袋

 男の顔に袋が被(かぶ)さっている。首まですっぽり嵌(は)まっている。袋の口は中途半端に開放され、風に揺れてビラビラしている。

 ビニール袋のようだが、もっと透明で、景色がよく見える。音もクリアに聞こえる。このままテレビや映画や音楽を楽しむこともできる。もちろん人と話すことも。

 飲み食いする時は袋の隙間からスプーン、箸を差し込む。手で直接口に運ぶこともある。

 何不自由ない。

 

 今日は花粉が多いようだ。くしゃみをすると袋の内側に点々と唾がつく。汚いが、これくらいは仕方ない。袋の隙間からニュッと手を入れ、ティッシュで鼻をかんでしまう。

 しかし、少し息が苦しい。吐き出した二酸化炭素が袋の中に滞留している。酸素が入らないこともないが、十分ではない。それに、息を吐き出すたび袋が膨らみ、吸うと縮んで、心もち顔にピッタリくっつく。慣れたものだが、一度気になるとその感触は心から離れなくなる。

 呼吸できないわけではない。何かに気を取られると息のことなど忘れる。しかしうっかり息、と考え出すとだめである。

 この袋、取ってしまおうか。やってみたいと思いながら、このままでも息はできるから問題ないと、長年放置していた。これで不自由なく暮らせるのだ。たかが袋ではないか。放っておけばいい。

 

 それにしても、外の空気はどんな感じなのだろう? 肌触りとか、温かさとか、冷たさとか、湿気とか、気圧とか、……。一度思いきり吸い込んで、肺の中に送り込んでみたい。こう袋が四六時中しゅうしゅう顔にひっついていては、顔と同化して、袋男になってしまいそうだ。

 

 彼は頭のてっぺんから袋の端を掴み、エイッと勢いよく引き上げた。鼻や耳など出っ張った顔のパーツに、合成繊維のような薄い素材がスリスリッと滑る。

 とうとう袋の下端は額を過ぎ、頭頂部を過ぎる。抜けた。顔から外れたのである。

 

 空気だ!

 目の前にあるそれは見えず、臭いはない。物質の感触もない。

 花びらの匂いを嗅ぐように思いきり鼻から吸い上げる。それは鼻の穴に入らず四散して、たちまち彼の首を取り囲んだ。締め上げる。

 しまった! 袋だ。袋があれば……。

 袋を投げ捨てた床へ彼は慌てて手を伸ばした。掴む間もなく意識は薄れ、昏倒した。

 

(2021.1)

〈特殊〉と〈一般〉のはざまで ―文芸社の講評に寄せて―(7)

まなざしとまなざしの交錯

 

 精神保健関係の施設で話を聞いてもらっている人がいた。もはや味方は、その人しかいなかった。

 

 精神科のシンラツ先生は、こう教えてくれた。ふんぞり返って、声のシャワーを浴びせかけるように、奔放にしゃべるが、すこしも傲慢を感じさせない口調で。

 

「こういう状況を理解できる人は限られている。受け取るには勇気と力が要る。もっている人はごく一部。みんな嫌がる。重い? 暗い? そりゃそうだよ。ただ一般の人でも、心開かれる人はいる」

 

「私、誰も読まないかと……」

 

「一般の人は反応がないのが当たり前。理解できるわけない。できるもんならしてみろ! 詩集で一部でもわかってくれた人がいた、って思ったんでしょ? それぐらいの割合。多くの人にわかってもらうのではなく、わかる人が一部いればいい」

 

 冒頭に戻る。だから私は、文芸社のレターに、心底驚いたのである。

 出版社という、〈一般〉社会を代表する人が、〈特殊〉な人間を、作品を認めてくれたことに。〈特殊〉が〈一般〉化することばかり求められる中、〈一般〉の代表者が、〈特殊〉の領域に足を踏み入れようとしてくれたことに。

 

 筋金入りの〈特殊〉が、ただ自分だけの力で、〈一般〉など目指せない。

 それができる内容だと判断したのは、あくまで〈一般〉側に、〈特殊〉を見る目があったからだ。私の〈一般〉に向かうまなざしと、〈一般〉の〈特殊〉に向かうまなざしが交錯しなければ、流通など、交流などできようはずはない。

 

 

まなざしの交錯

 

 

 こうした人は、シンラツ先生のいう通り、ごく限られている。ある意味〈特殊〉な人かもしれない。

 

 〈特殊〉に歩み寄ることのできた、文芸社出版企画部Sさんの知性、力、そして(シンラツ先生いわく)勇気に、心から感謝している。

 

 

〈特殊〉と〈一般〉のはざまで ―文芸社の講評に寄せて―(6)

私に大通りは似合わない

 

 ところが今度は、「マジョリティに向けて広く、わかりやすく!」という理想を目指すミカンさんと、決裂していくことになる。

 

 ミカンさんには、発達障害の家族がいる。その人のことが「わからない」という。だからこそ、同じ事情を抱えている私の〈特殊〉事情を、〈一般〉に「わからせる」ことに、こだわるのだ。

 

 ミカンさんが「わからない」のは、〈特殊〉事情のある人の問題ばかりではなく、彼女の問題であると、私は思った。ミカンさんのアイデンティティは、〈特殊〉な感覚を失い、〈一般〉の感覚に同化しているように思われた。そんな自分の心を、自分で見ることができないと。

 そのような人が、〈特殊〉な人を理解するのは、極めて難しいものだ。ミカンさんは自分の「わからなさ」を、相手に転嫁しているように思われた。

 

 〈特殊〉と〈一般〉が通じ合わない。

 

 そんな時、〈特殊〉が〈一般〉化するばかりでなく、〈一般〉が〈特殊〉化することも、また必要なのだ。それなのに、「〈一般〉が当たり前。お前が〈一般〉化せよ」と一方的に圧力をかけられるのは、苦痛だった。

 

 文芸社は、〈一般〉寄りの出版社という印象があった。〈特殊〉へのまなざしがあるとは、この時は思われなかった。ミカンさんが「文芸社文芸社」と促すたびに、「お前が一方的に〈一般〉化せよ」という執念と圧力を感じ、嫌だった。

 

 私はもう、ミカンさんの口から、文芸社という言葉を聞きたくなかった。終わらせようと思った。だから自分史大賞に応募した。落選通知が来た時、落胆したが、心のどこかでホッとしていた。

 

 私に大通りは似合わない。細い、細い道を行くのだ。誰も通らない道を。

 

 こうして私は、ミカンさんと別れた。

 

 ミカンさんのおかげで、文芸社からの講評をいただけたのかもしれない。感謝している。しかし彼女に、私にダメージを与えた自覚がないこと、大事な友人を失ったことは、残念だった。