地底の声

世の中からズレてる人の書いたもの(詩・エッセイ・日記など)

〈特殊〉と〈一般〉のはざまで ―文芸社の講評に寄せて―(5)詩「ゆるして」

ゆるして

 

 私の命は許されていない。社会からも。自分からも。

 「もう、許してほしい」と、神に祈った――。

 

 

【ゆるして】

 

 ゝ

ひとひらの風が

窓枠に触れる

 

 ゝ

部屋を撫で

さらう波が

 

 ゝ

沈殿する波と

絡まり合い

 

 ゝ

揺蕩いひらく

ありのままに

 

 ゝ

巻き上がり

生まれる灯の

 

 ゝ

零れ光り

渦巻く流れを

 

 ゝ

ゆるして

ゆるして

 

 

いのちをゆるして

 

 

 偶然、加藤諦三の本を読んで、気づいた。「理解してほしい(するべき)」という願望や必要性を、私はマジョリティに押し広げ、外化していた。そうすることは非現実的であると。

 

 マジョリティは、私にとってマフィアだ。だからこそ「マフィアの権力をやり過ごす」「マフィアを避けて生きる」のが大切ではないのか? マフィアに喧嘩を売る(正当な権利を要求する)よりも、逃げるほうが、自分を大事にできると。

 

 私は自己疎外に陥り、距離感を見失っていた。マイノリティ関係者を想定して、距離感を計りながら、自分の意志を押しつけずに、堂々と述べることが、手記の書き方であると心得た。さらに、私にとって、家の中こそ、潜在的能力の伸びるベストの場所である、と気づいた。

 

 マジョリティに無理な要求をしなくなったので、燃え尽き感は、わずかながらも和らいでいき、聴覚過敏の苦闘は、難所を越えた。

 

 このことが、「過度に〈一般〉を目指せば、自分が潰れてしまう」と確信するに至った理由である――。

〈特殊〉と〈一般〉のはざまで ―文芸社の講評に寄せて―(4)詩「打ち下ろす槌に」

燃え尽きて

 

 命を賭けていた。森口さんが命を賭けて書いたように。失われた人間の尊厳を取り戻し、社会で生きる権利を確立するために。

 

 人間の尊厳、命の尊厳とは何か?

 

 社会的に抹殺された人の存在が、私には支えだった。裁判をする人の気持ちがわかった。ハンセン病や、いじめでPTSDになった人の記事をよく読んでいた。

 

 〈特殊〉の魂を持った私が、〈特殊〉のまま――自分のまま、〈一般〉に通じる。それは、険しいいばらの道だった。

 逆流性胃食道炎になった。膠原病になった。ストレスが内臓を攻撃して、身体中にできものができたのだ。

 

 どんなに命をかけて『マイノリティ・センス』を書いても、社会に訴えても、無視されるのではないだろうか? 燃え尽き感のような絶望感が、たびたび私を襲った。

 

 世の中と「もめよ」。ある人は、そう助言した。

 

 ハローワークに原稿を持っていき、ある職員に見せた。その人は、私をハローワーク好きにさせてくれた、世の中との大事なコネクションだった。10年間信頼していた、数少ない味方だった。

 

 ところが彼は、コテンパンに私をやっつけた。「書くのは不満。書かずに満足せよ」というようなことをいう。人間の尊厳を回復するために書いているのに、自分の仕事を否定された気がした。その人に「全然悪気はなかった」と判明したが、私はセカンドレイプされたかのように、深く傷ついた。

 

 長年の信頼は、あっけなく地に墜ちた。世の中すべてが敵のようだった。聴覚過敏は悪化していった。

 

 

【打ち下ろす槌に】

 

灼熱の闇に 暗赤の泥濘(ぬかるみ)は底無く

揺れる葦を掻き分け、漬かる膝を引き抜く

慄く掌が虚空を掴み、逃れ行く脚に

煌めく針山の底より 噴き出す業火から

群がる

無数の腕(かいな)、

乾いた亡者らの

骨浮き、皮崩れ、

開け広げた唇に音なく

 

〈これでもかこれでもか、〉打ち下ろす

〈これでもかこれでもか、〉打ち下ろす

 

肉断ち、骨砕き、

槌に染まる血汐を被り、骸らの息絶えず

よろめき立ちて、

なお万力に絡み、絞め殺しの根のごとく

引き摺る腕(かいな)の

剥ぎ、刮(こそ)ぐ、

 

明滅する糸の

啜(すす)られ朽ちゆく

焔、

火先細り

銀河もろとも拉ぐ重力の滑落に

いましも燃え尽きんと

〈明滅する、明滅する、〉

眼上げれば遠く 連なる山塊の頂に

翻る旗は真白く!

雪崩れる山道の落石に塞がれ

指先は霞む白布を…

 

〈これでもかこれでもか、〉打ち下ろす

〈これでもかこれでもか、〉打ち下ろす

 

槌に染まる血汐を被り 絶えぬ骸らの

群がる

無数の腕(かいな)

 

打ち下ろす槌に

〈特殊〉と〈一般〉のはざまで ―文芸社の講評に寄せて―(3)

〈自分の部屋〉を〈通路〉の一部にしたくない

 

 『マイノリティ・センス』がおおかたできあがった時、下読みした人の評価はさんざんだった。重い。暗い。わかりにくいと。読んでもらえない人が半数いた。そもそも「読めない」というのだ。

 

 本の内容自体に関しては、それなりの自負はあった。なにせ、聴覚過敏に関して、世の中にはない秘密を、自分で解き明かした。世の中にないメソッドを、自分で築いた。世の中にない思想を、自分で編み上げた。世の中にない治療法を、自分で確立した。

 しかし、とにかく〈一般〉向きではないことを、私は思い知った。

 

 本の重要人物として登場する、一緒に推敲してくれた人(仮にミカンさんとする)がいた。ミカンさんは、私が〈特殊〉の世界でとどまり、くすぶっているのを、〈一般〉に開放しようとした。

 

「あなたのまわりにいるのはマジョリティ(多数派)でしょう? わかってもらわなきゃならないでしょう? だからマジョリティに向けて、広く! わかりやすく! やさしく!」

 

 というのだった。文芸社への投稿を勧めたのも、ミカンさんだった。

 

 人に通じるわかりやすい表現を目指すことには、賛成だった。しかし2つの点で、私は抵抗した。

 

 一つは、私の〈特殊〉な感性を〈一般〉に合わせすぎると、その繊細さや、複雑さや、独自性が壊されることだった。あたかも〈自分の部屋〉が〈通路〉の一部にされてしまうように。

 〈一般〉化されて自分の表現ではなくなることは、苦痛だった。〈自分の部屋〉を守りたかった。

 

 

私の部屋を通路にしないで

 

 

 もう一つは、対象読者をマジョリティにするのは無理がある、という思いだった。

 二人の言葉が私を導いていた。

 本に登場する、ひきこもり支援にかかわっているアンゴウさんは、「マジョリティにわかってもらわなくてもいい」と言った。

 哲学者の中島義道も、「彼らを打ちのめすことはできない。彼らの考えを変えようなどというフトドキ千万なことを試みてはならない」と『カイン』で語っていた。

〈特殊〉と〈一般〉のはざまで ―文芸社の講評に寄せて―(2)

オーダー・メイド

 私が直面している発達障害の問題もそうである。

 私の問題と需要を解決できる情報が、世の中にはない。世の中の問題と需要を解決できる情報が、私の中にはない。私の問題と需要は、世の中の問題と需要とは重なり合わない。“ちょっと”はあるかもしれないが、微々たるものである。

 

 だから私は、何を書いても「所詮、自分のオーダーメイドにしかならない」という虚しさを、たびたび感じる。自分の問題とその解決策が〈特殊〉すぎて、ほかの人に「使えない」。ほかの人の問題とその解決策が、私の〈特殊〉な問題に合わず、「使えない」。

 

 社会のあらゆる場所で、私はそう言われてきた。「〈特殊〉なあなたに合った場所は、情報は、解決策はない」と。

 

 ある人は言った。「それでも自分の問題を考えるのは大事だ」と。その言葉を胸に、延々と、自分の〈特殊〉な問題を考えてきた。

 

 

特殊な自分のままで

 

〈特殊〉と〈一般〉のはざまで ―文芸社の講評に寄せて―(1)

〈特殊〉vs〈一般〉

 文芸社の講評を読んで、まず目に飛び込んできたのは、「全国流通を目指していただける内容」という文字だった。

 「無理」だと思っていた。「それを目指しては私が潰れてしまう」と思っていた。

 その理由を整理してみる。

 

 〈特殊〉vs〈一般〉。この構図に引きずり回されてきた。

 

 ざっくり書くと、私は〈特殊〉な感覚〈マイノリティ・センス〉のために、社会の中で生きる場所を失った。重い後遺症に苦しめられた。だから命の尊厳を賭けて、〈マイノリティ・センス〉を社会的に認めてほしいと訴えたのが、自家製本『マイノリティ・センス』である。

 

 自閉症者の森口さんは、最初の著書を半年かけて書き、半年かけて推敲したと『自閉女の冒険』に書いている(147頁)。なぜそんなに早く書けたのだろう。

 私は難産も甚だしかった。2017年から執筆を始め、3年かけて11回推敲した。5年もかかっていることになる。やってもやっても終わらなかった。「自分語」を乱造しなければ言いたいことを表せないなど、表現が〈一般〉向きではなかったのである。

 

 詩でも、ブログでも、私のコミュニケーションにはすべて、この構図がつきまとう。多くの人は〈一般〉の世界に住んでいるが、私は何を言っても、やっても、骨の髄まで〈特殊〉だった。

 

 

特殊と普遍

 

執筆中の自著の講評に”言葉を失う”ほど震撼した 詩:ただ一人の観客へ

 東京オリンピックが閉幕し、新型コロナウイルス第5波が落ち着き始めた2021年初秋。一通のレターパックがポストに入っていた。文芸社から届いた、聴覚過敏手記『マイノリティ・センス』の講評だった。

 

『マイノリティ・センス』

 

 この春、文芸社主催の自分史大賞「人生十人十色大賞」に応募し、先月、落選した。理由と講評が知りたいと電話したところ、担当者が送ってくれたのだ。


 講評には、作品を評価する言葉が連ねられていた。

 

 その時受けた私の衝撃を、どう表現すればよいだろう? いつも無視ばかりされる私にふさわしくない、過分なる現実。これは夢か? 心のあまりに深い部分が震撼した。言葉にならない歓喜が爆発した。講評に「読み進めながら言葉を失う」とあったが、私も同じように、“言葉を失った”。泣いてしかるべきほどのパッションだ。

 ところが、ちょうどその時、聴覚過敏の痛みに意識を奪われていた。内なる闘いに燃え尽きて、心の底に降りていくエネルギーがなく、感情が麻痺しているようだった。


 しかしその瞬間、私の人生の何かが“変わった”。聴覚過敏の長い闘いの、重大なるターニングポイントを迎えた。心の支えができた。それほどの衝撃を、とても言語化することはできなかった。


 森口奈緒美著『自閉女の冒険』を読んだ時も、同じような感情の麻痺が起こった。あまりに「凄い」ものを前にすると、言葉を失ってしまう。1回読んで、「凄い」という感想しか出て来なかった。何が「凄い」のか言語化できないほどに「凄かった」。

 感想の言葉を列挙する前に、私の人生はすでに変わっていた。森口さんの生きた軌跡が、私の日常のいろんな場面にオーバーラップし、浸透してしまったのだった。

 2回目を読んでみたが、感想が湧きすぎて、なかなか読み進められなかった。その一つひとつを、言語化するのは難しかった。どの思いをピックアップして感想文を書けばよいのか、わからないほどだった。

 

 その森口さんも書いていたっけ。

それは、本当に、本当に、本当に、夢みたいなお話だった。我が人生で最高の日。宝くじに当たるよりも凄い出来事だ。(『自閉女の冒険』、遠見書房、2020年、166頁)

 講評を受け取った日も、私にとって「我が人生で最高」に近い日に間違いなかった。

 

 さて、講評を読み返す「感動に堪える力を蓄える」ために、私は身辺の雑事を片付けた。心の重大なる局面に降りていく、階段を整えるように。その階段で、2日もうろうろ足踏みしていたのである。

 そうして私は、もう一度、文芸社からのレターをまじまじと読んだ。

 

 

                  *

 

 

【ただ一人の観客へ】

 

嬉しや嬉し作品に

読者がついてございます

孤独の作業日の目見る

日が訪うと思わずに

今日までひとり黙々と

言霊綴っておりました

 

嬉しや嬉し作品に

読者がついてございます

誰もが求む拍手の音

人のこころに見出して

観客いない寂しさを

文字刻む手に知ったもの

 

嬉しや嬉し作品に

読者がついてございます

ようこそ遠路はるばると

いらっしゃいましあなたさま

観客席のただ一人

感謝感激送ります

 

 

(2017.1.21 『声・まっくら森』に収録)

 

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【ひとこと】

昔書いた詩。

「読者がついてございます」のところが、囃し立てるみたいで、

我ながらもう少しよい表現はないかと思うが、

韻を踏むために苦労したところなので、今のところ、

よい表現が、ほかに見つからない。

詩:花吹雪

遠い故郷を浮かべ

群青を帯び輝く細面が

水中に揺らぐように

潤む月は 夜闇に光沢を湛え

ぴんと張ったしずかな冷気が

月の無言を呑んでいる

しやめかな夜空に

 

散る

散る

熟れてゆく樹幹から離れ

透き通る白い花弁が

裸体のままひらき

無数の歌になって

 

 Good bye

 Good bye

 

一生分の準備を乗せ

旅立つ花吹雪

樹幹を搾りきるように

夜空をいっせいに昇ってゆく

遠い月に向かって

 

 Under the same sky

 If you are happy…

 

満ちる

樹幹から千切れて――

 

 

(2021.初春 蒼炎浪漫 Vol.19 収録)

詩:アポロンの眼

ディオニソスに魅入られ

葡萄の蔓の絡まる酒杯を享(う)けた

昏い眼光を滾(たぎ)らせ

無形の岩漿*を地に撒いた

 

ピンセットで標本台に載せる

一分の狂いなき手つきでつがえた

アポロンの銀の矢が

杯を貫き

絶対零度の衝撃が

またたく間に岩漿をかためた

 

射手を仰ぎみれば

その瞳は日輪のようにまばゆく

世界を統べている

畏れおののいて わたしはひれ伏した……

一切を留める

精緻な指捌きに口づけて

授かった天秤を掲げると

岩漿に言葉があてがわれる代わりに

凍りついた

 

かれの輝く瞳が わたしを射!

その片割れはわたしに嵌め込まれた

 

  ――音は鎮まった

  ――音は斃(たお)れた

 

砕かれた空の杯を拾い集めたが

鳴らない口にのぼるのは

黙示する予言ばかり

しかしそれは地底に嵩み

くぐもり充ちて

地殻を持ち上げていった

 

もはや

瞼を下ろしたくはない

たとえアポロンの眼光が

刹那に岩漿をかためてしまっても

あやまたず射る指先で

つめたく燃える岩漿を 無形のままとりだし

醒めながら狂い 狂いながら醒めたる

空の杯に満たせよ

轟きわたる

玲瓏の地鳴りのなかで

 

 

* マグマ

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アポロンの眼

(2021.8.15)

 

エッセイ:書く葛藤2 アポロンとディオニソス

 書けない。しかし、せめて、書けないことを、書いてみたい。


 私には、自閉症の特性に由来する、特殊な感覚がある。これを書きたいと思いついたのは、25年前になる。
 はじめに「書け」と言ったのは、哲学を好む、ある文学の先生だった。当時私は、キルケゴールの本を翻訳したものを読んでいた。だから私の言葉も、思想も、いわゆる翻訳調であった。カクカク、ゴテゴテとしていた。岩盤のように。「それだけ考えていることがあるなら、書くべきだね」と先生は言った。


 それから20年、「書きたい」「でも書けない」と苦しい葛藤をした。葛藤しすぎて病気(身体表現性障害。心の葛藤が身体機能を損なわせる病気)にまでなった。
 ある人は、自己〈分析〉したことを〈表現〉せよ、と言った。私は自分を〈分析〉することも〈表現〉することも得意としていたが、その人は、どちらかというと〈分析〉が私の本分であるとみたようだった。


 決めた順序通りに書こうとするこだわり。強迫的な細部追及。この二つの特性が壁になり、私の葛藤は続いた。吐き出すように、詩を書いてみた。
 しかし、私の特殊な感覚〈マイノリティ・センス〉を、詩に昇華するのは難しかった。詩は普遍を書くものと谷川俊太郎はいう。私の感覚は、詩になりづらいのではないかと悩んだ。書けなくなった。己の詩を憎み、恥じるようになった。誉めてくれる人がいても、出来損ないの子を見るように、疎んじた。


 詩は駄目だ。散文を書こう。思ったことをありのまま素直に。以前から手をつけていた自分史を書き進めていった。


 ここでも壁は立ちはだかった。私の特殊で繊細な感覚を表現するには、日本語では不可能のように思われた。あたかも 〝画材〟 が足りないように、表現手段の不足を感じた。私は 〝画材〟 を調達しなければならなかった。自分のことばを創った、それも乱造した(昔の私の日記は造語だらけで、自分でも解読不能だ)。日本語の規則や用法を無視し、マイルールにねじ曲げた。それは私にとって、自己表現を邪魔する煩わしい軛だった。学校の制服や校則のように。


 正しい日本語にこだわる、ある文学愛好家は、私の言葉は意訳しなければ一般の人に伝わらないと言った。「あなたは散文が向いてないね。詩はいいのに」。コミュニケーションの唯一の突破口であるはずだった散文は、こうして行き詰まった。


 ブログもなかなか書けなかった。読者を想定しなければならないと言われるが、コミュニケーション前提で書いたとたん、〈表現〉の切っ先が鈍るのである。諧謔(ユーモア)調のエッセイや小説は、人を笑わせようという動機があり、読者を想定して書けるが、それ以外は書きづらかった。私の文章は、まず〈表現〉への無目的な爆発があって、コミュニケーションは二の次だった。


 詩を書くために、ある詩人に教えを請うた。彼は言った。
「あなたは自分を爆発させようとした瞬間、一歩引いてしまう。用心深い。それではもったいない」
「そうなんです。醒めてしまうんです…」
「批評を書いてみて」
 かくて、私の〈表現〉は、パトス(一時的・主観的・激情的な感情)とロゴス(言葉を通して表される理性)の狭間を彷徨うのだった。

 

パトスとロゴス

 

 ニーチェは『悲劇の誕生』の中で、芸術創造のタイプとして、ディオニソスギリシャ神話でぶどう酒の神)型とアポロンギリシャ神話で音楽・弓・医術・牧畜などの神)型を挙げたという。ディオニソス型を生のエネルギーの発現としての狂気と忘我の超日常的世界とし、アポロン型を明知と光明の観照的世界とした森鴎外ヰタ・セクスアリス』、明治二十四年、新潮文庫、注解)


 自己表現を得意とする私は、ディオニソスに魅入られ、パトスの杯を享(う)けた。しかし、アポロンの瞳に恋し、ロゴスの天秤を掲げた。アポロンの瞳は、溶岩のごとき無形の情念に、言葉を与える代わりに、その熱を冷却するのだった。

 

アポロンとディオニソス


 アポロンの瞳が、私の中の〈表現〉を殺そうとしているのか。ディオニソスの杯が、私の中の〈分析〉を殺そうとしているのか。これが私の、書けない葛藤なのだ。


 醒めたまま狂えるか。狂ったまま醒められるか。私はアポロンの瞳で、ディオニソスの杯を満たしたい。

(2021.7.24)

ひきこもり支援者とのやりとり 詩:ひきこもり四字熟語

以下は、最近できた自家製本を、あるひきこもり支援者に見せた時のやりとりです。

 

アゴウさんと6年ぶりに再会

 

 ひきこもりサポーター養成講座に出るため、××センターに向かう途中、堤防沿いの道路で工事をしていて迂回させられた。早めに到着してアゴウさんに声をかけ、あらかじめ緊張をなくそうと思っていたのに、予想外の事態に出鼻を挫かれてしまった。

 

 会議室に入ると、早速アゴウさんを発見。気まずく別れたのは2014年だったか。じつに6、7年ぶりの再会である。互いにすぐ相手を見定めた。

 

「出席簿の名前見て天寧さんだと思った」

 

 とアゴウさんは私に声をかけた。相変わらず、鋭く人を見ている。

 

「A型事業所の件ではお世話になりました」私は単刀直入に伝えたいことを口にした。「それでアゴウさんのことを書いたんですけど、出版してもいいですか?」――単刀直入すぎた。

 

 しかし予想に反して、アゴウさんは渋った。「えー、内容にもよる…」

 

「今日、持ってきたんですけど――」

 

 と私が突っ込んだところで養成講座は始まり、席に着いた。こういう気まずい場面が苦手な私にしてみれば気さくに声を掛け、うまく再会を果たしたのはよかったが、押しすぎた! アゴウさん困ってる! とうろたえた。

 このやりとりで緊張してしまい、聴覚過敏は早々に出るわ、講座の内容がなかなか頭に入らないわでパフォーマンスは上がらなかった。

 

 世の中との〈ズレ〉という〈私の世界〉を通して〈ズレ〉を共通理解していく

 

講座が終わってアゴウさんを待ち、私はまた声を掛けた。

 

「イキナリ済みませんでした」

 

「うちのNPOでやっていることは…」

 

「あ、その件ではなくて……。さっき出版の話を持ちかけたりして。で……どうですか?」

 

「話したことを公表すると残るでしょう。それは……」

 

 とアゴウさんはまた渋るのだった。

 

 まさかストップがかかるとは! 私の最大の心の支えである手記を出版しないわけにはいかない! 思わぬ障害の出現に焦った。本のことを言わなければよかった、と後悔した。

 

 退こうにも退けず、この話を詰めていくしかなくなった。

 

「じつは持ってきたんですけど……」と言って数日前に製本した『マイノリティ・センス』を鞄から取り出すと、アゴウさんは目を落とそうとしたが、すぐ「出ましょう」と促した。会議室を閉める時間だ。

 

 廊下へ移動しつつ、「出版する動機はなんですか?」とアゴウさんはズバリ聞いてきた。

 イキナリ痛いところ突かれた! 私は頭を抱え、「えー…」と言い淀んだ。「……人間の尊厳の回復と、社会との関係の回復と、それから多様性と言われながら内向きの今の時代に、マイノリティの人権を……」ぶつぶつ説明しながら廊下の長椅子に並んで座った。

 

 アゴウさんはもう一度、本に目を落とし、慎重に読み始めた。いつまでも無言なので、私は思いきって訊ねた。「……覚えていらっしゃいますか?」

 

「覚えてる覚えてる。記録もあるし」

 

「忘れやすいと仰っていたので、もう忘れたかと」

 

「記憶はとめて(留めて)る」

 

アゴウさんの言ったことを、事実をできるだけそのまんま再現しました」

 

天寧さんと社会のズレ。あなたはことばからズレていく」

 

「そのことも、そこ(手記)に書きました。アゴウさんが言ったことをそのまんま」

 

「天寧さんのことがあってから、ユウちゃんという子が来てね」アゴウさんは、自分のNPOで起きている出来事を語り出した。「人と関わらない独特な世界を持ってる。絵を描いてカタルシスしている。作品を通して社会につながっている」

 

「ああ、自分の世界を通して世界と繋がるんですね」

 

「そう。自分なりの社会との繋がり。それを細く長くやってるとね、慣れてくるの」

 

 頷きながら私は即座に了解した。自分の経験に照らし合わせて、よくわかる話だったのだ。

 

「居場所をやってるとトラブルは必ず起きる。そこで失敗して、どうする? と丁寧に考えていく。受け入れたり、許したり……。殺意を抱くこともある。それもシェアする。そうしているうちに捉え方は変わり、許しに、癒しになる。そういうふうに人を育てていくのが居場所の機能

 

居場所を〈やる〉のではなく、それは〈機能〉そのものなんですね」私は言い直した。

 

「そう。ことばでズレていく。ありのままの天寧さんは生きづらい。それが天寧さん。手記では整理されていると思う。ことばの〈ズレ〉を通してズレを理解する。〈ズレ〉自体が特性

 

 ことばの〈ズレ〉。世の中との〈ズレ〉。それこそ私の世界であり、表現(手記などの作品)であると、私は即座に理解した。

 

ことばのズレ、世の中とのズレという私の世界をもって、ズレを修正していくんですね」私はアゴウさんの言葉を言い直し、繰り返した。

 

「そう。あとは対話につき合う人がどれだけいるか? 相手に器がないといけない

 

 Gさんのことを思い浮かべながら、私は頷いた。

 

「出版したら上下巻送って。シェアする」とアゴウさんが言ってくれたので、許可が出たと内心ホッとした。

 

 今日はどうもありがとうございました、と私から話を終わらせると、少し無言で、並んで歩いていった。

 Yさんが「センター長のところへ」とアゴウさんを呼びにきた。別れ際に、「今日はありがとうございました」ともう一度礼を言うと、アゴウさんは「じゃ、また」と短く言った。

 

「嬉しかったです」私も短く挨拶し、別れた。

 

 帰宅後、気づいた。アゴウさんにとって私は「うんと難しい人」だったと。私にかかわったほぼすべての人がそう評したように。私は誰から見ても「難しい」のである。私が私の精神の複雑さに参っているように。

 

 アゴウさんは7年前に私と別れた後、〈世の中とのズレ〉こそ私の正体と見、だからこそ警戒していたのである。この態度は、Gさんの私への態度にそっくりであると気づいた。

 

 だからアゴウさんは慎重に確認していた、自分の言葉が私に〈ズレ〉なく届いているかと。私が正確にアゴウさんの言葉を言い直したので、アゴウさんは大きな手応えを感じていたと思う。

 

 

【ひきこもり四字熟語】

 

ひきこもり

社会脱落

 

ひきこもり

時代逆行

 

ひきこもり

非難囂々

 

ひきこもり

人間不信

 

ひきこもり

縁者孤立

 

ひきこもり

大義希薄

 

ひきこもり

心眼発達

 

ひきこもり

世間虚仮

 

ひきこもり

節約力学

 

ひきこもり

逆境独歩

 

ひきこもり

自分回帰

 

ひきこもり

生存立命

 

(『声・まっくら森』収録 2017.2.22)

 

ひきこもり

 

詩は、文学は、すべてウンコだというのか…! 詩:私の詩なぞ

詩を書いているFさんから電話がかかってきた。


ウンコの詩、××誌に載せていい?」


「えぇ!?」


 ウンコの詩とは、私が自分の詩をクソみたいに厭う感情から生まれた「私の詩なぞ」という作品。
 あまりにもひどいので、とても人様にお見せできないお蔵入りの詩である(でもこっそり出版した)


「あんなクソみたいな詩をですか!? よりにもよってあんなんをですか!?」


なにクソっていうエネルギーは大事


「そりゃまあ、そうですけど…」


「谷川にもウンコの詩がある。岩波文庫で」


「あの谷川俊太郎が、クソを、ですか?」


「ウンコは希望。文学的エネルギー」


「希望!? 文学!?」


 なんと詩は、文学はすべて、森羅万象を己の体内で消化し排出せんとするウンコ・エネルギーだったのか……!


 私は一瞬クラクラした。自分の作品がすべてウンコに見えてきた。

 そして早速、このうさん臭い話をブログにウンコすることにした。

 

    *

 

 今回は汚い話で失礼しました。

 

詩は、文学は、すべてウンコ



【私の詩なぞ】

 

痛い・暗い・希望がない

でっかいウンコのような

私の詩なぞ見たくもない

出たら出たで知らんぷり

 

けれども吐き出すことで

病を和らげたとうとい娘

それなりに綺麗なかたち

整えるために手入れした

 

それでもやはり用済みさ

でっかいウンコのような

私の詩なぞ見たくもない

出たら出たで知らんぷり

 

けれども吐き出すことで

病を和らげたとうとい娘

・・・・・・・・・・・

・・・・・・・(endless)

 

(2017.5.8『声・まっくら森』収録)

2021.3.22

詩:白紙

なぜこんな自分になったのか。

なぜ行き詰ってしまったのか。

「白紙」の中で、自分と語り合いました。

 

 

【白紙】

 

まっさらな紙のうえに

まったく我が意思にまかせられている

流れるリズムのないままに

しいんとひとりで

居場所ある者はさいわいと

君は言った、ソウダネ

望んで引き受けた軛じゃないけれど

誰もが耐えられるわけじゃない

おかしくならないほうがおかしいね

と思えば

たまたま耐えざるを得ない毎日を

来る日も来る日もしのんでいる

こんなちっぽけな日常も

やりがいがある

と思えるような気がした

 

(『声・まっくら森』収録)

 

トンネル

 

自分の世界を描いた詩:大いなるものへ

このブログはほとんど見ている人がいないので気が乗らず放置していたのですが、半年ぶりに更新します。

 

私の世界

このエピソードはいずれ私のもう一つのブログで書きたいですが、中学1、2年生の時、突然強烈な自我が芽生え、「自分の世界」をもったことがありました。

私はその世界のために生き、死ぬと、その時思いました。

そしてその世界が見えなくなった時から、何十年にもわたる鬱が始まりました。

 

 

世界

 

中学2年生の時のエピソード

 心の中の何かが欠け落ちてしまったことを私は知った――それは「故郷」だった。故郷の色鮮やかな懐かしい景色を。

 社宅アパートの窓に掛かったブラインドから夕暮れを眺めていた時だった。自分の中から、これまでの「ありとあらゆるもの」が喪われるように思い、涙を流した。突然、何かが私を激しく打った。天の啓示のようないかづちが。

 

 

【大いなるものへ】

 

灰に染まる石室で、あなたは〈わたし〉を与えてくれた

日覆いの隙間から、見知らぬ風景の空から

それは突然降りてきた

初めて目覚めた人間のように 啓示は激しくわたしを打った

 

灰に染まる石室で、あなたは〈世界〉を与えてくれた

日覆いの向こうをまなざしは貫いて、遙か遠い山と雲の彼方から

それはわたしに呼び掛けた

未だ見ぬ郷愁に抱かれて 涙は満ちるよろこびを湛えた

 

あるとき、――それは死んでいた

巫女もかぐやも 猜疑の晦冥に呑み込まれ

長く白けた 罪が下った

底無しの 色彩失せた夜の始まり

 

あなたよ 〈世界〉よ 風景よ

色彩よ 音楽よ 物語よ

夢よ 幻想よ ふるさとよ

希望よ 自由よ 憧憬よ 流れるままに流れる涙よ

 

此岸からは届かない 澱んだ眼で瞳を凝らす

此岸からは得られない それは此処へ来るものだから

此岸からは叶わない 虚しく指先伸ばしても

此岸からは開かない 扉に答えの息吹なく

 

あなたよ、あなたよ、巫女は待ち

あなたよ、あなたよ、かぐやは想う

彼岸より遣わしたもう、胸の空に満ちる使を

罪深い盲(めしい)のうえへ

 

 それは、強烈な「自我」だった。何者かが欠け落ちてしまったという喪失感の中で、急激に強い「自我」が芽生えた。これまで自分というものをもたず、世界も知らなかった私が、「自分」と「神」を、そして「世界」を意識した瞬間だった。その強烈な感覚は、「自分」「神」「世界」を渾然一体とさせ、一つの世界を形成した。

『踏まないで! ―ある自閉症者の手記―より』

詩:鍵を知る者 ―ドナ・ウィリアムズに贈る―

鍵を知る者よ 教えてほしい

わたしがなぜここに 繋ぎ止められているのか

母なる器

痩せ果てた大地の封印に

縛めを解く 型はどこに

秘匿されているのか

 

  ――組み敷かれた魔方陣

  ――解けない鍵穴

 

ふたつでひとつのからくり

片割れを抱えている あの雲に

差し伸べる大地の稲穂が

なぜ届かないのか

わたしはひとりで

硬い土に水をやり

稲穂を鍵の凹凸に変えようとする

けれども鍵は ふたつでひとつ

雲は 持ち去ったまま

 

鍵を知る者よ

あなたはあなたの頭上へ

あなたの長身よりも遙かに

振り解いていった

縛めを解く 型となって

母なる器はあなたを飲み尽くしたあと

久遠の沈黙にばら撒いて

ふたつでひとつのからくりを

無数に降り注いだ

 

  ――蒼穹の歌声

  ――粒子の遠来

 

鍵を知る者よ 教えてほしい

痩せ果てた大地を 脱ぎ捨てる

鍵の あなたの

遍く在処を

 

 

追記:スターありがとうざいます!

普遍プレッシャーで詩が書けない

詩が書けないいぃぃぃぃーーーーッ

 

 

 

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 書けないのは、前の記事「ほんとうのこと」で書いた身元が割れるという理由と、

 

 普遍プレッシャーです。

 

 谷川俊太郎の ↓ のことばは、私の中で、仏教者・小池龍之介の口調を借りると

「詩は人類の宇宙的普遍を書くべきであーッる!! by詩の大家

という反論を許さぬプレッシャーとしてのしかかることになりました。

 

 万人の無意識に共通する感覚を書かなければ。

 たしかにそうだなあと思う。一理あります。 詩を学ぶようになって、自分でもそう思うようなりました。

 吉本隆明だって、「おう きみの喪失の感覚は/全世界的なものだ」と言っているではないか(「分裂病者」より)。

 

 ――しかし、無言になってしまうのです。ものを言えなくなってしまう。自由に表現できなくなる。普遍を書かなければならないというプレッシャーが、詩を書くときの足枷となる

 

 私にも当然、普遍感覚はあります。たとえば花を見ると綺麗だなあと目を奪われる。詩が書けなくてもどかしく思う。

 けれども、私のセンスは普遍の逆、マイノリティ・センス。人と違うふうに感じる少数派感性。詩に適したことばになり難いと悩みました。それから、詩を書くことに抵抗を感じるようになりました。

 その時の心境を小説化したものが

amanekouko.hatenablog.jp

です。

 

 本格的に勉強したわけではないから、もちろん実力がない、ヘタクソということもあります。それは自覚しています。どう書いたらよいか本当にわからないですね……。学ぶ場がほしいです。

 

 そういうわけで、散文に軸足を移していこうと思います。もともと私の詩は自閉スペクトラム症という基盤あってできているものなので、そちらをテーマにしたブログで散文を中心に発表していく予定です。このサイトの詩も少しずつ新ブログに移行するかもしれません。(モチベーションがすぐ低下するので、新ブログも放置する可能性大です……)

 

roots-amanekouko.hatenablog.jp

 

  ブログ名を同じにしたら、どっちがどっちだか見分けがつかなくなった。。。

 また変えるかも。

 

 

読者が……(泣)

 

 詩のことばが生まれる瞬間は3ヵ月に1回、普遍プレッシャーに悩むようになってからは半年~1年に1回の低出生率になってます。推敲は10回以上ゴリゴリやりますから、1作できるまでに何カ月もかかって、ブログで頻繁にアップするなんて無理。

 

 ようやく出来上がったことばも、ヘタクソな上にマイノリティ・センス(暗いとか、希望がないとか、よくわからないとか、いろいろあるのでしょうが)……読者がいなくて、モチベーションはたちまち低下。詩ができるときは、誰かに向けてとかじゃなくて、ひとりでに生まれるのですが、結果的に全然読者がいなければ、寂しい。

 

 いつも詩をいいと言ってくださるクマさん。これまで何度もはてなスターをいただいたブロガーの方。あとは詩集を買っていただき、声を掛けてくださった方。……ぐらいですよ? こんなヘタクソな見るに堪えない詩にいいねしてくださるのは……。

 

ありがとうございます(はぁと)

 

 

今後このブログは……

  1. 詩集『声・まっくら森』から細々と過去作品を引っ張りだしてくるか、
  2. 新作を数ヵ月~1年に1作ぐらい(ブログとして完全に死んでます……)超スローペースで出すか、
  3. 散文で詩について考える記事を書くか、
  4. 新ブログに移行するか、……

 ということを考えています。

 

 

追記:スターありがとうございます!